『信長の野望・新生PK』武将能力:村上義清の評価は?【武将評価シリーズ・その176】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第176回目は、武田信玄を二度も退けた猛将・村上義清(むらかみよしきよ)です。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の武田信繁は以下のリンクから。
人物について
村上義清は文亀元年(1501年)、村上顕国の子として生まれました。
当時、武田氏と抗争を続けていましたが、家督を継いだのちの天文10年(1541年)5月には武田信虎と結んで小県郡を掌握します。
しかし天文17年(1548年)、父・信虎を追放した信玄は、小県郡への侵攻をはじめました。「上田原の戦い」において両軍はぶつかりあい、義清は武田軍を撃退。武田氏の重臣・板垣信方や甘利虎泰など多くの武田家臣を討ち取り、信玄にもケガを負わせました。
天文19年(1550年)、信玄が再度小県郡の砥石城に攻め込んでくると、またもやこれを撃退。武田側は1000人ほどの死傷者を出した一方、村上側は100人ちょっとだったといいます。この敗戦は「砥石崩れ」とも呼ばれています。
まともにたたかっては勝てないと悟った信玄は、真田幸隆(幸綱)の調略によって内部から裏切らせ、砥石城を奪取。天文22年(1553年)には葛尾城も落とされ、義清は上杉謙信を頼って越後へ逃れました。
こうして緩衝地帯として働いていた村上家の領土がなくなったことから、信玄と謙信が直接ぶつかりあう「川中島の戦い」が発生します。義清も「第四次川中島の戦い」に参加しました。
元亀4年(1573年)に病死。享年73歳だったといいます。
基本ステータスについて
統率:83
武勇:87
知略:73
政務:60
主義:保守
表舞台の武将ではないので、80台に抑えられたという感じですね。
過去作だと統率が70台だったり、知略が30台だったりしたときもあったので、猛将として位置づけられているようです。むしろ統率は上がっていますね。
戦法・特性について
(戦法)
急襲:敵部隊の兵力減少。
(特性)
乾坤:合戦で積極的に退き口を攻撃。
鉄壁:所属城の耐久ダメージ減少。
用兵:敵部隊を挟撃中、自部隊の攻撃上昇。
(家宰)
城塁固守:城の耐久上限増加、腰兵糧日数減少。
(奉公)
具足奉行:常備兵制の維持費削減。
なにげに軍師的なスキルの「用兵」も持っていますね。
総評
村上義清は猛将タイプの武将です。
統率・武勇は80台、知略も73あります。
ただスキルとしては「鉄壁」持ちなので、要所の守備をまかせるのもよいでしょう。
次回は真田幸隆です。【追記】次回できました。以下のリンクから。