『信長の野望・新生』武将能力:武田信玄の評価は?【武将評価シリーズ・その4】

2022年7月29日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

shingen takeda

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第4回目は、「甲斐の虎」こと武田信玄です。

「風林火山」ニャ。

上杉謙信との「川中島の戦い」は有名ですね。

それでは能力を見ていきましょう。前回の徳川家康は以下のリンクから。

 

人物について

武田信玄は甲斐統一を果たした武田信虎の次男で、幼名は太郎(「勝千代」とも)といいます。母親は大井の方ですね。

「信玄」の名は、出家後の法名です。

名前がいろいろあるのが、戦国武将のややこしいところニャ。

大永3年(1523年)、兄の武田竹松が7歳で亡くなり、太郎が嫡男となります。

しかしその2年後、弟の次郎武田信繁)が生まれます。

父・信虎は次郎を寵愛し、太郎を遠ざけていきました。

このあたりから父との対立がはじまっていたのニャ。

天文5年(1536年)、元服した太郎は、室町幕府12代目将軍・足利義晴から「晴」の字を賜り、名を「晴信」と改めました。

天文10年(1541年)、父・信虎は、今川義元と面会するため、駿河へ向かいました。

そこで晴信は、重臣らと結託して甲斐と駿河の国境を封鎖し、信虎を帰国させないようにしました。事実上の追放ですね。

なんでそんなことしたのニャ?

通説だと「父・信虎が悪逆非道だった」とのことですが、実際のところは信虎と重臣たちの外交方針が合わなかったとか、信虎のワンマン体制に重臣たちが反発していたとか、重臣たちから見限られていたというのがあります。

晴信ひとりが決めたことではなく、重臣たちの総意でしょう。そこに晴信が担ぎ上げられたといったところでしょう。

ワンマン社長のやり方が受け付けられなくて、機会を見て追い出して、息子を担ぎ上げたみたいな感じなのニャ。

父を追い出して家督を相続した晴信ですが、その翌月、のちに上杉謙信の養父となる上杉憲政に信濃佐久郡を取られてしまいます。

父の代では上杉氏とは同盟関係があったのですが、晴信は外交方針を転換して信濃諏訪領へ攻め込み、平定します。

逆に敵対関係であった北条氏とは手を結び、北条氏と今川氏が対立したときには、その仲裁に入ります。これがのちの「甲相駿三国同盟」へとつながることになります。

父とは逆の方針だから、追い出さざるをえなかったのニャ。

今川氏、北条氏との関係改善により、背後を心配する必要がなくなった晴信は、信濃侵攻を本格化。信濃守護の小笠原長時、葛尾城主の村上義清らと対立します。

上田原の戦い」で村上義清に大敗するも、湯村温泉で湯治をしてけがを直し、攻め込んできた小笠原長時を返り討ちにします。

そこから反撃をはじめ、天文22年(1553年)には村上義清の葛尾城を陥落させます。

村上義清は上杉謙信(当時は長尾景虎)のもとへ逃れました。

こうして因縁の対決がはじまるのニャ。

そうですね。ここから謙信との、5回にわたる「川中島の戦い」がはじまります。

とくに「第四次川中島の戦い」が有名ですね。山本勘助が参謀となり、「キツツキ戦法」なる策をさずけました。

妻女山に陣を敷く謙信のもとへ高坂昌信、馬場信春らの軍勢を向かわせ、謙信が逃げたところを八幡原で信玄が待ち伏せするという作戦です。

ところが、高坂昌信の軍が到着する前に、謙信は兵士たちが暑さで倒れているのを目の当たりにして、妻女山を下りてしまいました。

結果、謙信と信玄は、予定外に八幡原でぶつかりあってしまいます。

おたがい、いるはずのない敵がいてびびったのニャ。

この戦いで、山本勘助は命を落としてしまいます。

ちなみに「あてずっぽう」のことを「ヤマカン」といいますが、これは山本勘助から来ているといわれています。

ちょっと不名誉な名前の残り方ニャ。

信玄と謙信の戦いは、世間一般では「引き分け」という評価になっています。高橋名人と毛利名人の戦いみたいな感じですね。

いまの子にはわからないのニャ。

ちなみに「第三次川中島の戦い」の後に出家し、「信玄」と号しました。

永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで今川義元が討ち取られると、信玄は織田信長と友好関係を結びました。信長は養女を、信玄の四男・武田勝頼に嫁がせます。勝頼は、信玄の死後に家督を継ぎます。

しかし永禄11年(1568年)、信長との対立を鮮明にした将軍・足利義昭は、全国に信長包囲網の檄を飛ばします。

信玄は信長の勢力拡大を防ぐため、盟友の徳川家康の領土に攻め込みました。何度かに渡るいくさとなり、「三方ヶ原の戦い」では家康を大敗させています。このあたりの話は、前回を参照してください。

脱糞なのニャ。

しかし信玄の快進撃は、健康上の問題から止まってしまい、元亀4年(1573年)には病で命を落とすこととなります。享年53歳でした。

信玄が倒れなかったら、家康たちもどうなってたかわからないのニャ。

 

基本ステータスについて

統率:100
武勇:89
知略:96
政務:95
主義:保守

統率100ニャ。

本作で一番統率の高い武将ですね。武勇、知略、すべてで信長に勝っています。

劣化信長の家康じゃ勝てないのニャ。

野戦、城攻めと、オールマイティーに強さを発揮できるパラメータになっていますね。

 

戦法・特性について

(戦法)
風林火山:自部隊の攻撃力上昇、体力回復。

(特性)
人は城:自身と周辺部隊の防御が大幅上昇。

甲斐の虎:臨戦状態になるまでの時間が短縮。

馬術:自部隊の騎馬LVが上昇。

戦法「風林火山」は体力を回復させつつ、攻撃力も上がっていきます。

さらに「人は城」で、自分のみでなく、周囲にも防御アップのバフをかけられますね。本作では防御力にあたる「統率」が100あるので、かなり硬いユニットになります。

甲斐の虎」もあるので、ガンガン攻め込んでいくといいでしょう。

 

総評

本作最高の統率100を持った武将です。

武勇・知略も高く、野戦も城攻めも有利にたたかうことができるでしょう。

体力回復もある「風林火山」や、防御アップの「人は城」、臨戦時間短縮の「甲斐の虎」を活かし、率先してガンガン攻め込んでいくといいかと思います。

戦闘キャラニャ。

次回はライバルの上杉謙信です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。