『信長の野望・新生PK』武将能力:斎藤龍興の評価は?【武将評価シリーズ・その128】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第128回目は、斎藤道三の孫である斎藤龍興(さいとうたつおき)です。
無能扱いされることが多いですが、前回登場した父・斎藤義龍が早くに亡くなってしまったことから、14歳で家督を継ぐというハードな人生になっていました。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の斎藤義龍は以下のリンクから。
人物について
斎藤龍興は天文17年(1548年)、斎藤義龍の子として生まれました。
父・義龍は祖父・斎藤道三に対して反乱を起こして討ち取り、斎藤家を掌握しました。道三の援軍に間に合わなかった織田信長との対立が決定的になった状況で、33歳ほどで亡くなってしまいました。
以降、龍興が14歳で家督を継ぐこととなります。
龍興は祖父や父のような才はなく、しかも信長は妹・お市を浅井長政に嫁がせたことから、織田ー浅井の同盟が成立してしまっています。敵に囲まれた状態で、状況はあまりよろしくはありませんでした。
しかも竹中半兵衛を侮辱していた斎藤飛騨守を重用するなど、家臣たちからも愛想をつかされかけています。
そんな状況の中、永禄6年(1563年)、信長との「新加納の戦い」が発生。半兵衛の活躍によって、戦い自体は勝利に終わりました。
しかし翌年には、いろいろ耐えかねていたのか、半兵衛は斎藤飛騨守を殺害して、稲葉山城を占拠してしまいます。城は龍興に返したものの、家臣との亀裂は修復しがたいものとなっていました。
やがて信長が再度侵攻をはじめます。家臣たちの寝返りが相次ぎ、美濃三人衆までもが裏切り、稲葉山城が落とされてしまいました。
龍興は逃亡し、長島一向一揆や三好三人衆と通じて反撃の機会をうかがいます。
永禄12年(1569年)には、信長の擁立した足利義昭を、三好三人衆と共謀して殺害しようとしましたが失敗。その後は朝倉義景のもとへ逃れました。
天正元年(1573年)、朝倉軍が織田軍とたたかったさいに、龍興は従軍します。この戦いで朝倉軍は敗れ、龍興は戦死したといわれています。享年26歳でした。
基本ステータスについて
統率:24
武勇:36
知略:32
政務:36
主義:保守
史実ではけっこうがんばっていたわりには、評価は低いですね。
ちなみに過去作だと知略が1桁台とかもありました。
戦法・特性について
(戦法)
早駆:自部隊の機動上昇。
(特性)
血気:戦場で積極的に部隊攻撃を行う。
(家宰)
重商主義:市の商業上昇、農村の石高減少。
(奉公)
武士心得:領土保全が発令可能、すでに発令可能なら維持費削減。
なんだかんだで信長への対抗意識はずっと持っていましたからね。それ以外なにもないというのもちょっとひどい感じもあります。
戦法に「早駆」があるのは父・義龍とおなじですね。
総評
斎藤龍興は中の下の凡将です。
ステータスは20~30台で、特性も「血気」だけです。
「桶狭間の戦い」シナリオでは身分が宿老なので、家宰として利用するのも一つの方法ですね。
次回は六角義賢です。【追記】次回できました。以下のリンクから。