『信長の野望・新生PK』武将能力:六角承禎(義賢)の評価は?【武将評価シリーズ・その129】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第129回目は、六角定頼の嫡男であり、信長包囲網の一角となった六角承禎(義賢)(ろっかくじょうてい(よしかた))です。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の斎藤龍興は以下のリンクから。
人物について
六角承禎(義賢)は大永元年(1521年)、六角定頼の嫡男として生まれました。「承禎」は剃髪後の号ですね。「義賢」の名は室町幕府12代将軍・足利義晴から一字をもらっています。
細川晴元が挙兵して足利義晴と細川高国を畿内から追い出すと、足利義維を擁立して「堺公方府」を開きます。ここで六角定頼は足利義晴を擁護していましたが、その裏で細川晴元ともつながっていました。
六角定頼は細川氏の中で権力を握るも、天文21年(1552年)に死去。承禎は家督を継ぎます。
弘治3年(1557年)には息子の六角義治に家督をゆずり、承禎と号します。
ただ実際のところは、承禎が実権を握っていましたね。
承禎は細川氏を助け、三好長慶や北近江の浅井氏と戦っていました。斎藤義龍とは同盟を組み、浅井氏に対抗します。
永禄6年(1563年)10月、息子の義治が観音寺城内で後藤賢豊を殺害する事件が起こります、これによって家臣たちが六角氏に不満を募らせました。
永禄11年(1568年)、織田信長が足利義昭を擁して上洛すると、承禎は三好三人衆とともに対抗します。
信長包囲網が始まると、承禎は浅井長政・朝倉義景と同盟します。
のちに足利義昭の仲介で信長と一時和睦しますが、その後も一向一揆に協力してまた信長に歯向かいます。
しかし畿内では松永久秀が信長に服従するなどで、信長包囲網はぐだぐだになっていきます。
このころから承禎の足取りもぐだぐだになって、伊賀の国人とともに信長に対抗したとも、身を隠していたともいわれ、なにをしているのか不明な時期となっています。
秀吉が天下統一を果たした時期に、ひょっこりと秀吉の御伽衆として登場していますね。
慶長3年(1598年)に死去。享年78歳だったといいます。
基本ステータスについて
統率:55
武勇:66
知略:56
政務:38
主義:保守
父親は政務が96もありますしね。ゲーム中でもトップレベルの高さです。それに反して、息子の政務は30台です。
過去作では武勇70台の時期もありましたが、いまでは全体的に落とされてしまっていますね。
戦法・特性について
(戦法)
早駆:自部隊の機動上昇。
(特性)
城乗:敵城への耐久ダメージ増加。
(家宰)
年功加俸:仕官3年以上で忠誠上昇、仕官3年未満で忠誠減少。
(奉公)
旗奉行:母衣衆結成の維持費削減。
全体的に厳しいですね。史実ではけっこうがんばって戦っていましたけどね。
総評
六角承禎は中堅の凡将です。
武勇は66、統率・知略は50台。そして父と違って政務は38しかありません。
特性も「城乗」ぐらいなので、他の武将と混ぜてつかっていくのがよいでしょう。
次回は可児才蔵です 。【追記】次回できました。以下のリンクから。