『信長の野望・新生』武将能力:朝倉義景の評価は?【武将評価シリーズ・その74】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第74回目は、信長包囲網の一角を担うも敗れて自害した朝倉義景(あさくらよしかげ)です。
「金ヶ崎の戦い」ではあと一歩のところまで織田信長を追い詰めたのですけどね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の穴山梅雪は以下のリンクから。
人物について
朝倉義景は天文2年(1533年)、朝倉孝景の長男として生まれました。幼名は長夜叉。
16歳のころに父が死去し、家督を継ぎます。
ただ実際の政務は従曾祖父の朝倉宗滴(教景)がおこなっていました。
天文21年(1552年)、室町幕府の第13代将軍・足利義輝から「義」の字をもらい、「義景」となります。
また細川晴元の娘を正室にしたことから、将軍家とのつながりを強くしていきました。
しかし足利義輝は、三好三人衆らに殺されてしまいます。松永久通が首謀者といわれていますが、実際のところは三好義継が指揮をしており、松永久通は大和国にいたのでそもそも参加できていませんでした。
足利義輝の弟・足利義昭は難を逃れるため、義景を頼りました。
義景は足利義昭をかくまうも、ともに上洛する意志はありませんでした。
けっきょく足利義昭は、信長を頼ることになります。
信長とともに上洛した足利義昭は、室町幕府15代将軍に就任。
信長は義景に上洛するよう命じますが、義景はこれを拒否し続けます。
信長はこれを口実に、徳川家康との連合軍3万を率いて朝倉領内に侵攻。
快進撃が続きましたが、一乗谷まで来たところで浅井長政が信長に反旗を翻し、朝倉軍とともに織田軍を挟撃しようとしました。
信長はいち早く撤退をし、難を逃れました。世にいう「金ヶ崎の退き口」ですね。
浅井長政の裏切りに激怒した信長は、相手の居城である小谷城を攻撃。「姉川の戦い」が勃発します。義景は援軍を送りますが、けっきょくは敗れました。
一方、武田信玄が、信長と折り合いが悪くなった足利義昭の求めに応じて上洛を目指し、家康の領内へと侵攻します。
信玄は義景に、浅井長政と協力して信長をおさえておくよう要請しましたが、義景は兵士の疲労を理由に実行しませんでした。
信玄が亡くなると、信長は兵力を朝倉領へと向けます。怒涛の快進撃で義景は敗退し、将兵にも見限られてしまって、最期は従兄弟の朝倉景鏡の謀反にあって自刃しました。享年41歳だったといいます。
基本ステータスについて
統率:41
武勇:34
知略:42
政務:51
主義:保守
まあ、「こんなものでしょう」という感じの数字ですね。
ちなみに過去作は10~30台みたいなステータスなので、むしろ本作は能力が上がったといえます。「覇王伝」だと智謀9とかでしたしね。
戦法・特性について
(戦法)
攪乱:敵部隊の体力低下。
(特性)
作事:城下施設の建設効率上昇。
数奇:家宝をまれに入手。
特性も使えそうなのが「作事」ぐらいですしね。
総評
朝倉義景は、大名としては能力値の低い人物です。
もっとも高いパラメータが政務の51となっています。あとは30~40台です。
特性に作事があるので、内政で活かしていくといいでしょう。
次回は細川晴元です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。