『信長の野望・新生』武将能力:三好長慶の評価は?【武将評価シリーズ・その28】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第28回目は、最初の天下人ともいわれる三好長慶(みよしながよし)です。
久秀同様、有能な人物だったといわれていますね。畿内に三好政権をつくりあげた人物です。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の松永久秀は以下のリンクから。
人物について
三好長慶は大永2年(1522年)、細川晴元の重臣・三好元長の嫡男として生まれました。幼名は千熊丸。
しかし享禄5年(1532年)、三好元長は一向一揆の攻められて命を落としてしまいます。これには、裏で同族の三好政長と、細川晴元が手をひいていたといわれます。
こうして長慶は、12歳にして三好家の家督を継ぐことになりました。
その後、おじの三好康長らの力を借りて一向一揆を討ち破り、さらには細川晴元をも追い詰めます。
戦闘の結果、細川方の和睦を受け入れ、従属することとなりました。長慶は細川晴元のもとで、影響力を高めていきます。
やがて天文18年(1549年)、長慶と細川晴元・三好政長は「江口の戦い」でぶつかり合うこととなります。
長慶は三好政長を討ち取り、細川晴元は将軍・足利義晴と、その子の足利義輝とともに、京から逃亡してしまいました。
こうして長慶は、畿内の掌握に成功したのです。
ここから長慶は、細川晴元や足利家とたびたび対立することとなります。
一方で、畿内の政治は、以前の幕府の態勢をそのまま踏襲したことから、大きな混乱はありませんでした。
物事を穏便にすませたい長慶は、足利義輝と和議を結び、上洛を許します。そして将軍家を表に立たせつつ、自身は裏で権力を握るという形にしました。
しかし長慶の独裁は長くは続かず、彼を支えていた弟・十河一存、三好実休、嫡男の三好義興が相次いで亡くなります。
長慶は悲しみのあまりに心身を患い、一方で家臣の松永久秀が権力を強めるようになります。
永禄7年(1564年)5月9日、松永久秀の讒言によって、長慶は残った弟の安宅冬康を居城の飯盛山城に呼び出して誅殺してしまいます。
ただ久秀の讒言については、後世の創作ともいわれています。
その後、安宅冬康の無実を知って悲しみ、同年の7月、長慶は飯盛山城で病死してしまいます。享年43歳でした。
このことから、「久秀が権力を握るために、三好兄弟を全滅させた」のような噂が流れて、悪名が高くなっていったのでしょう。
基本ステータスについて
統率:92
武勇:71
知略:88
政務:93
主義:中道
統率・政務が90台と、戦闘・内政どちらにもすぐれていますね。知略も90近くあります。
過去作だと評価の高い時期と低い時期がありましたが、革新以降は武勇以外90台みたいな状況が続いていましたね。
なんにしろ、評価の高い武将になっています。
戦法・特性について
(戦法)
足止:敵部隊の機動低下。
(特性)
人脈:遠国登用に関する具申が可能。
策謀:特殊な調略具申が可能。
能吏:街道に関する具申が可能。
この点は久秀のほうが優遇されていますね。
特性は内政向けのものばかりなので、文官的なイメージになっているのでしょう。
総評
三好長慶は統率・政務が90台、知略も90近くあり、戦闘や内政でも活躍していけます。
特性は内政向けのものがほとんどなので、戦闘向きの武将と比べると見劣りしますが、そもそもの能力値が高いので問題ないでしょう。
また家臣には松永久秀や十河一存など優秀な武将もいますので、うまく使っていきたいところです。
次回は足利義昭です。【追記】次回出来ました。下のリンクから。