『信長の野望・新生PK』武将能力:本庄繁長の評価は?【武将評価シリーズ・その179】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第179回目は、上杉謙信に仕えながらも大規模な反乱を起こした猛将・本庄繁長(ほんじょうしげなが)です。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の飯富虎昌は以下のリンクから。
人物について
本庄繁長は天文8年(1540年)、本庄房長の子として誕生。幼名は千代猪丸。幼いころより短気だったといわれています。
父・房長は弟・小川長資の謀反によって居城を奪われたことで憤死。まだ幼い繁長が家督を継ぐこととなります。その後見人は小川長資だったため、実質権力を奪われた状態だったといえます。
しかし天文20年(1551年)、父の13回忌の法要で繁長は小川長資を捕らえ、自害に追い込みます。こうして権力を取り戻すことができました。
以降、上杉謙信に仕え、武田信玄との「川中島の戦い」にも参戦。武功を挙げていきます。
しかし永禄11年(1568年)、謙信の命で長尾藤景を殺害したものの、なんの恩賞もなかったことから信玄と通じて反乱を起こします。
善戦して色部勝長などを討ち取ったりしたものの、最終的には謙信が勝利。蘆名盛氏の仲介によって降伏し、嫡男・本庄顕長を人質に差し出すことで帰参を許されます。
謙信が亡くなったのち、後継者争いで上杉景勝と上杉景虎が対立すると、繁長は景勝側についたことで上杉家の重鎮となります。
天正18年(1590年)、奥羽で秀吉に対する一揆が起こると、繁長は一揆を煽動したかどで改易されます。しかしのちに文禄の役に参陣したことで許され、上杉家に帰参します。
関ヶ原の戦いでは上杉家とともに西軍につき、伊達政宗の攻撃から福島城を守るも、西軍敗北によって上杉家ともども減封を受けます。
慶長18年(1614年)死去。享年74歳でした。景勝はその武勇をたたえ、「武人八幡」の称号をあたえたといいます。
基本ステータスについて
統率:84
武勇:90
知略:82
政務:36
主義:保守
武勇は90ですし、統率・知略も80以上なのでバランスはいいですね。
過去作だと知略が30台とかだったので、評価が上がったことになります。
戦法・特性について
(戦法)
激励:自部隊の攻撃上昇。
(特性)
自衛:自勢力内では自部隊の防御上昇。
攻勢:自部隊の攻撃上昇。
血気:戦場で積極的に部隊攻撃を行う。
(家宰)
鬼神兵法:部隊の能力上昇、忠誠減少。
(奉公)
旗奉行:母衣衆結成の維持費削減。
「攻勢」「血気」持ちですね。「自衛」は伊達政宗から城を守ったことでつけられたと思います。
総評
本庄繁長はバランスの取れた猛将です。
武勇は90、統率・知略も80以上と申し分ありません。
「激励」「攻勢」もあるので、積極的に戦場に出していくのがよいでしょう。
次回は戸沢盛安です。【追記】次回できました。以下のリンクから。