『信長の野望・新生』武将能力:上杉謙信の評価は?【武将評価シリーズ・その5】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第5回目は、「越後の龍」こと上杉謙信です。
「信長の野望」シリーズだと「敵兵が溶ける」というレベルの攻撃力を誇る武将です。
それでは能力を見ていきましょう。前回の武田信玄は以下のリンクから。
人物について
上杉謙信は享禄3年(1530年)、越後守護代の長尾為景の子として生まれました。幼名は虎千代です。
天文5年(1536年)、父・為景は隠居し、虎千代の兄・晴景が家督を継ぎます。
虎千代は林泉寺にあずけられ、住職・天室光育の教えを受けていました。しかし学問より武を好み、乱暴な性格だったことから、周囲からは「鬼若殿」と呼ばれました。
父が亡くなった翌年の天文12年(1543年)、虎千代は元服して景虎と名乗ります。
そのさらに翌年には越後の豪族が反乱を起こし、景虎が城主をつとめる栃尾城に攻め込んできます。当時、景虎は15歳でしたが、少数の兵で奇襲をしかけ、これを撃退しました。
その後も反乱を起こす者がいましたが、景虎はこれらを見事鎮圧。景虎を支持するものが多くなったことから、兄・晴景との対立が深まってきます。
最終的には兄・晴景から家督をゆずってもらい、19歳で守護代となりました。22歳で越後を統一します。
天文21年(1552年)、武田晴信(信玄)によって領国を追われた信濃守護・小笠原長時が謙信のもとへ逃げてきます。ここから信玄との長きにわたる「川中島の戦い」が勃発します。詳しくは前回「武田信玄」を参照してください。
ちなみに信玄が今川氏に塩を止められたとき、謙信が塩を送ったという「敵に塩を送る」エピソードですが、後世の創作といわれています。
永禄4年(1561年)、上杉憲政から関東管領上杉家の家督を継ぎ、「上杉政虎」と改めます。
さらに同年12月、将軍・足利義輝から一字を賜り、輝虎と改めました。
「謙信」の名は、さらにのちに出家して称した法号です。
1578(天正6)年、謙信は春日山城で亡くなりました。享年49歳です。
謙信(景虎)は生涯で70回ほどいくさをしましたが、ほぼ負けなしでした。
基本ステータスについて
統率:98
武勇:100
知略:84
政務:81
主義:保守
信玄は武勇89なので、大きく上回る能力ですね。本作で最強です。
本作では統率が防御力、武勇が攻撃力なので、敵が溶ける攻撃力になっています。
そのかわり、城攻め能力である知略は84なので、信玄(知略96)と比べると大きく劣ります。
戦法・特性について
(戦法)
軍神:敵部隊の兵力減少・混乱付与。
(特性)
義の将:味方が攻撃されると、即時臨戦状態に移行。
越後の龍:自部隊が交戦中、共に戦う部隊の能力上昇。
馬術:自部隊の騎馬LVが上昇。
ただでさえ強いのに、敵に兵力減少・混乱付与の「軍神」は、敵を溶かすための能力といえますね。
「義の将」は、信玄の「甲斐の虎(臨戦状態になるまでの時間が短縮)」の防御バージョンといったところですね。
「越後の龍」は味方へのバフとしてつかえます。
総評
統率も武勇も100近くあるというのは謙信だけです。圧倒的な強さを誇ります。
また敵に兵力減少・混乱付与の「軍神」は、ただでさえ強い謙信の攻撃力をさらに加速させます。
ただ知略は84なので、城攻め能力はちょっと劣りますね。
なんいしろ、野戦では最強なので、どんどん戦っていくのがいいでしょう。
次回は「三本の矢教え」の毛利元就です。【追記】次回出来ました。下のリンクから。