『信長の野望・新生PK』武将能力:村上武吉の評価は?【武将評価シリーズ・その133】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第133回目は、村上水軍を率いた海賊大名・村上武吉(むらかみたけよし)です。
九鬼水軍は織田氏を、村上水軍は毛利氏を支えた水軍ですね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の北畠具則は以下のリンクから。
人物について
村上武吉は天文5年(1536年)、村上義忠の子として生まれました。武吉は「武慶」とも書かれます。また能島を本拠地にしていたことから、「能島(のしま)武吉」ともいわれていました。
武吉が4歳のころ、父・義忠は嵐で難破して命を落としました。ここで後継者争いが起こります。まだ幼い武吉は、叔父の村上隆重につれられて、肥後国の菊池武俊のもとへと逃れました。
10年ほどのちに、武吉は村上隆重の助けを借り、村上家当主の座へと返り咲きます。こうして村上水軍を掌握することとなります。
天文24年(1555年)には、歴史的に有名な毛利元就と陶晴賢の「厳島の戦い」が発生。
毛利氏からは「一日だけ味方になってほしい」との申し出があったので、武吉はこれに協力します。村上水軍を独立勢力として認めているということですね。
戦いののちには、瀬戸内海での権力を掌握するようになりました。
のちに、大友宗麟が毛利氏と争うようになると、武吉は宗麟に与するようになります。しかし最終的には毛利氏と関係改善をします。
やがて毛利氏は、勢力拡大を続ける織田信長と戦うことになりました。ここで村上水軍は、九鬼嘉隆率いる九鬼水軍とぶつかります。
「木津川口の戦い」では、武吉は嫡男の村上元吉に出陣させ、織田氏の水軍を火矢で破っています。
ここで信長は「燃えない船」をつくるよう、九鬼嘉隆に命じました。
織田軍は鉄甲船によって毛利軍を撃破。武吉は淡路島へと逃れました。
「本能寺の変」で信長が亡くなったのち、そのあとを継いで天下事業に乗り出した秀吉は、村上水軍の力を削ごうと考えます。
そして天正16(1588)年、秀吉は海賊停止令を発令しました。しかし武吉は従わず、瀬戸内海で船の通行料をとる行為を続けていました。
秀吉が激怒したことで、武吉の嫡男・元吉が謝罪。以降、武吉は小早川隆景に従い、その家臣となります。以降、水軍のほうは元吉に任せ、出陣はしなくなりました。
慶長9年(1604年)に死去。享年69歳でした。
基本ステータスについて
統率:83
武勇:85
知略:77
政務:45
主義:中道
総合能力は九鬼嘉隆よりも上ですね。特に統率・武勇どちらも80台になっています。コーエー的には武吉のほうが上という判断なのでしょう。
過去作だと統率60台とかでしたが、「革新」あたりから80台になっていきましたね。
戦法・特性について
(戦法)
激励:自部隊の攻撃上昇。
(特性)
攻勢:自部隊の攻撃上昇。
海神:水上での攻撃上昇。
堅陣:戦場で積極的に洋書や重要設備、城門などを防御。
(家宰)
練武練兵:部隊の能力上昇、金銭収入減少。
(奉公)
海賊心得:海賊輸送術が発令可能、すでに発令可能なら維持費削減。
「激励」「攻勢」「海神」とありますから、水上戦闘では威力を発揮できますね。
総評
村上武吉は猛将タイプの武将です。
統率・武勇は80台で、知略も77あります。
また「激励」「攻勢」「海神」と攻撃上昇スキルもありますので、戦場で活躍していけるでしょう。
次回は以心崇伝です。【追記】次回できました。以下のリンクから。