『信長の野望・新生PK』武将能力:以心崇伝の評価は?【武将評価シリーズ・その134】

2023年8月10日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

ishin suuden

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第134回目は、江戸幕府の礎をつくった黒衣の宰相・以心崇伝(いしんすうでん)です。

南光坊天海のライバルなのニャ。

どちらも江戸幕府を陰で支えた人物ですね。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の村上武吉は以下のリンクから。

 

人物について

以心崇伝は永禄12年(1569年)、一色秀勝の次男として生まれました。

4歳のときに臨済宗の南禅寺で出家し、玄圃霊三の弟子となります。

長男以外は寺送りが戦国の世なのニャ。

慶長10年(1605年)には南禅寺の住職となり、後陽成天皇から紫衣を賜りました。

慶長13年(1608年)、相国寺の西笑承兌の推薦により、徳川家康に仕えます。政治・外交の面で活躍していきました。「武家諸法度」の制定にもかかわっていますね。

崇伝の名が一般に知られるようになったのは、方広寺の鐘銘事件でしょう。「国家安康」「君臣豊楽」と記されていたことで、「家と康を分け、臣と豊を近づける」と難癖をつけ、「大阪の陣」の発端をつくったともいわれています。

有名な話なのニャ。

家康が亡くなると、その神号を「権現」にするか、「明神」にするかで南光坊天海とあらそいます。最終的には天海の提案した「東照大権現」が採用され、久能山東照宮から日光東照宮に改葬されることとなりました。

政治的には天海に敗れたのニャ。

元和4年(1618年)、将軍・徳川秀忠より江戸城北に屋敷を拝領し、金地院を建立しました。

寛永4年(1627年)、天皇を統制下に置く「禁中並公家諸法度」を起草しましたが、沢庵宗彭らが反対します。崇伝は沢庵宗彭らを島流しにしようとしましたが、天海らのとりなしによって配流となりました。さらに後水尾天皇が退位したことで、幕府の権威を決定づけることとなります。

江戸幕府の基盤を築いたのニャ。

寛永10年(1633年)に死去。享年65歳といいます。

 

基本ステータスについて

統率:58
武勇:28
知略:66
政務:91
主義:中道

さすがに政務が高いのニャ。

ステータス的には天海より上になっていますね。

ちなみに過去作だと統率1の時期も多かったのですが、現在は58とかなり高い数値になっています。

 

戦法・特性について

(戦法)
治療:自部隊の兵力回復。

(特性)
作事:浄化施設の建物効率上昇。

破策:所属城にかかる調略の成功率減少。

(家宰)
辣腕政治:領内行動の集落掌握速度上昇、部隊の能力減少。

(奉公)
僧心得:学僧招聘が発令可能、すでに発令可能なら維持費削減。

「破策」があるのニャ。

ちょっとめずらしいスキルですね。基本的には「作事」での内政が中心になるでしょう。

 

総評

以心崇伝は政務に優れた武将(僧)です。

政務は91あり、「作事」も持っています。内政面で活躍させていくとよいでしょう。

また統率・知略も50~60台あるので、戦闘に混ぜていってもいいかもしれません。

陰で徳川政権を支えるのニャ。

次回は片桐且元です。 【追記】次回できました。以下のリンクから。