『信長の野望・新生PK』武将能力:織田秀信(三法師)の評価は?【武将評価シリーズ・その161】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第161回目は、織田信長の孫で、父・織田信忠の家督を継いだ織田秀信(三法師)(おだひでのぶ(さんぽうし))です。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の織田信忠は以下のリンクから。
人物について
織田秀信は天正8年(1580年)、織田信忠の長男として生まれました。幼名は三法師。
母親は諸説ありますが、映画「清須会議」だと武田信玄の娘・松姫になっていますね。
3歳のころ、「本能寺の変」が勃発。祖父・信長と父・信忠がまとめて亡くなってしまいます。三法師自身は岐阜城にいたのですが、そこから清州城へと非難させられました。
秀吉は謀反人・明智光秀を討ち取ったのち、清須会議において織田信雄・織田信孝をおさえて三法師を織田家の跡継ぎとします。
三法師は安土城へ移る予定でしたが、信孝が三法師を岐阜城にとどめたことから、秀吉と信孝が争うこととなります。
秀吉は信雄とともに挙兵し、岐阜城を包囲。信孝は降伏し、三法師をとりもどします。
こののち、今度は信雄が徳川家康と手を組んで「小牧・長久手の戦い」を引き起こします。しかしたたかいの最中に信雄は単独講和。こうして織田家の実権は秀吉が握ることとなりました。
天正16年(1588年)、9歳で元服した三法師は秀信と名乗ります。以降、岐阜城の城主となりました。
秀吉が亡くなり、「関ヶ原の戦い」が起こると、秀信は西軍につきました。しかし岐阜城は落とされ、秀信は高野山へ出家することとなります。
高野山においては、信長が以前攻め立てた禍根から迫害されます。けっきょく慶長10年(1605年)下山してふもとに住みます。それから20日ほどで亡くなってしまいました。享年26歳といいます。
基本ステータスについて
統率:32
武勇:39
知略:36
政務:51
主義:革新
政務以外が30台と、かなり低めになっていますね。
過去作だとパラメータが50~60台みたいなのもあったり、知略が10台みたいなのもあったりと不安定な感じでした。
戦法・特性について
(戦法)
早駆:自部隊の機動上昇。
(特性)
鉄壁:所属城の耐久ダメージ減少。
(家宰)
重商主義:市の商業上昇、農村の石高減少。
(奉公)
織田伝:天下布武が発令可能、すでに発令可能なら維持費削減。
「城に籠っておけ」みたいな感じですね。
総評
織田秀信は能力値の低い武将です。
政務は51、その他の能力は30台といった低いパラメータになっています。
スキルも「鉄壁」しかないので、数合わせで使っていく感じになるでしょう。
次回は織田有楽(長益)です。【追記】次回できました。以下のリンクから。