『信長の野望・新生PK』武将能力:織田信孝の評価は?【武将評価シリーズ・その159】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第159回目は、織田信長の三男(もしくは次男)の織田信孝(おだのぶたか)です。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の織田信雄は以下のリンクから。
人物について
織田信孝は永禄元年(1558年)、織田信長の三男(もしくは次男)として生まれました。
俗説では、織田信雄より20日先に生まれていたことから本来は次男なのですが、生母の身分が低かったことから報告が遅れ、信雄のほうが次男ということになりました。
永禄11年(1568年)、神戸具盛(友盛)の養嗣子として送り出され、やがて神戸家を乗っ取ることとなります。
以降、長島一向一揆との戦いや四国攻めなどに加わります。
「本能寺の変」で信長が亡くなると、中国攻めをしていた秀吉が京都へ引き返します。謀反人である明智光秀との「山崎の戦い」では、信孝は形だけの総大将となりました。
清須会議においては、柴田勝家の後ろ盾を得て、織田信雄を立てる秀吉に対抗するも、最終的には信長の嫡孫・三法師(織田秀信)が跡継ぎとなってしまいます。
三法師は安土城へ移動する予定でしたが、信孝が三法師を岐阜城にとどめていたことから、秀吉は三法師奪還を口実に挙兵。城は包囲され、降伏することとなりました。
天正11年(1583年)、滝川一益・柴田勝家が挙兵して秀吉と対抗すると、これに乗っかる形で信孝も挙兵します。
しかし「賤ヶ岳の戦い」で柴田勝家が敗れてしまい、信孝も降伏。最終的には切腹をいいわたされ、自害することとなりました。享年26歳といいます。
基本ステータスについて
統率:57
武勇:67
知略:54
政務:35
主義:中道
平均的といったところですね。
過去作だと知略10台の時期がけっこう長かったですが、本作では35と高くなっています。
戦法・特性について
(戦法)
急襲:敵部隊の兵力減少。
(特性)
作事:城下施設の建設効率上昇。
(家宰)
成果加俸:能力合計200以上で忠誠上昇、能力合計200以下で忠誠減少。
(奉公)
織田伝:天下布武が発令可能、すでに発令可能なら維持費削減。
「作事」自体は汎用性の高いスキルなので、数合わせとしては使えるでしょう。
総評
織田信孝は平凡な武将です。
統率・武勇・知略は50~60台で、政務は35と、あまり高いステータスではありません。
ただ「作事」もありますし、戦闘能力は50以上はあるので、そこそこ使っていけるとは思います。
次回は織田信忠です。【追記】次回できました。以下のリンクから。