『信長の野望・新生PK』武将能力:織田信孝の評価は?【武将評価シリーズ・その159】

2023年10月29日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

oda nobutaka

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第159回目は、織田信長の三男(もしくは次男)の織田信孝(おだのぶたか)です。

映画「清須会議」だと織田信雄と対照的に、こちらは真面目キャラになってるのニャ。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の織田信雄は以下のリンクから。

 

人物について

織田信孝は永禄元年(1558年)、織田信長の三男(もしくは次男)として生まれました。

俗説では、織田信雄より20日先に生まれていたことから本来は次男なのですが、生母の身分が低かったことから報告が遅れ、信雄のほうが次男ということになりました。

映画「清須会議」の設定でもあったニャ。

永禄11年(1568年)、神戸具盛(友盛)の養嗣子として送り出され、やがて神戸家を乗っ取ることとなります。

以降、長島一向一揆との戦いや四国攻めなどに加わります。

「本能寺の変」で信長が亡くなると、中国攻めをしていた秀吉が京都へ引き返します。謀反人である明智光秀との「山崎の戦い」では、信孝は形だけの総大将となりました。

清須会議においては、柴田勝家の後ろ盾を得て、織田信雄を立てる秀吉に対抗するも、最終的には信長の嫡孫・三法師(織田秀信)が跡継ぎとなってしまいます。

三法師は安土城へ移動する予定でしたが、信孝が三法師を岐阜城にとどめていたことから、秀吉は三法師奪還を口実に挙兵。城は包囲され、降伏することとなりました。

天正11年(1583年)、滝川一益・柴田勝家が挙兵して秀吉と対抗すると、これに乗っかる形で信孝も挙兵します。

しかし「賤ヶ岳の戦い」で柴田勝家が敗れてしまい、信孝も降伏。最終的には切腹をいいわたされ、自害することとなりました。享年26歳といいます。

けっこう若かったのニャ。

 

基本ステータスについて

統率:57
武勇:67
知略:54
政務:35
主義:中道

信雄よりましだけど、凡将タイプのステータスなのニャ。

平均的といったところですね。

過去作だと知略10台の時期がけっこう長かったですが、本作では35と高くなっています。

 

戦法・特性について

(戦法)
急襲:敵部隊の兵力減少。

(特性)
作事:城下施設の建設効率上昇。

(家宰)
成果加俸:能力合計200以上で忠誠上昇、能力合計200以下で忠誠減少。

(奉公)
織田伝:天下布武が発令可能、すでに発令可能なら維持費削減。

「作事」のみで、信雄とおなじなのニャ。

「作事」自体は汎用性の高いスキルなので、数合わせとしては使えるでしょう。

 

総評

織田信孝は平凡な武将です。

統率・武勇・知略は50~60台で、政務は35と、あまり高いステータスではありません。

ただ「作事」もありますし、戦闘能力は50以上はあるので、そこそこ使っていけるとは思います。

信長の子としては能力不足なのニャ。

次回は織田信忠です。【追記】次回できました。以下のリンクから。