『信長の野望・新生PK』武将能力:織田信雄の評価は?【武将評価シリーズ・その158】

2023年10月27日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

oda nobukatsu

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第158回目は、織田信長の次男(もしくは三男)の織田信雄(おだのぶかつ)です。

映画「清須会議」の信雄っぽいグラフィックニャ。

かなりキャラが立ってましたし、映画の影響は受けてそうですね。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回のお初(常高院)は以下のリンクから。

 

人物について

織田信雄は永禄元年(1558年)、織田信長の次男(もしくは三男)として生まれました。幼名は茶筅丸

永禄12年(1569年)、信長は抗戦相手であった北畠具教と講和。和睦条件として、信雄を北畠家の養嗣子として送り出すこととなりました。

合法的に北畠家を乗っ取れるのニャ。

成長した信雄は天正7年(1579年)、信長に無断で伊賀国に侵攻。しかも大敗してしまったことから、信長の怒りを買います。

「本能寺の変」で信長が亡くなったのち、跡継ぎ問題で弟(もしくは兄)の織田信孝と対立。柴田勝家が信孝を、秀吉が信雄を担いで対立する形となります。

しかし「清須会議」では、信雄・信孝は会議から外され、最終的に信長の嫡孫・三法師(織田秀信)が跡継ぎとなりました。

このあたりは映画「清須会議」が面白く描いているのニャ。

やがて秀吉と不和になり、徳川家康について対抗することとなります。「小牧・長久手の戦い」が勃発しましたが、その最中で信雄は秀吉と単独講和。家康には戦う理由がなくなり、結局講和することとなります。

まわりを振り回しまくってるのニャ。

「小田原征伐」においては、褒賞として信雄に徳川家康の旧領があたえられたものの、尾張から動きたくなくてこれを拒否。秀吉の怒りを買って改易となります。のちに家康のとりなしによって、また豊臣家の臣下となりました。

秀吉の死後、「関ヶ原の戦い」が勃発すると西軍についたことから、戦後には改易させられます。しかし「大坂冬の陣」で家康側に寝返ったことで上野国の大名として返り咲くことができました。

1630年(寛永7年)に死去。享年73歳でした。以降、子孫は7代にわたって小幡藩主を維持し、明治維新まで家系を存続させたといいます。

なんだかんだで長生きして、家系も長続きしたのニャ。

 

基本ステータスについて

統率:37
武勇:41
知略:29
政務:59
主義:中道

能力値はやっぱり低めなのニャ。

無能武将みたいな感じになっていますしね。

過去作でも低く設定されていて、知略が一桁の時期もありました。

 

戦法・特性について

(戦法)
激励:自部隊の攻撃上昇。

(特性)
作事:城下施設の建設効率上昇。

(家宰)
成果加俸:能力合計200以上で忠誠上昇、能力合計200以下で忠誠減少。

(奉公)
織田伝:天下布武が発令可能、すでに発令可能なら維持費削減。

スキルは「作事」のみなのニャ。

内政スキルなので、活躍の場はいくらでもあるでしょう。

 

総評

織田信雄は中の下の凡将です。

統率・武勇・知略は50以下なので、数合わせみたいな感じになるとは思います。

政務は59あり、「作事」持ちなので、内政面で活躍させていくとよいでしょう。

使いどころがないわけではないのニャ。

次回は織田信孝です。【追記】次回できました。以下のリンクから。