『信長の野望・新生PK』武将能力:九鬼嘉隆の評価は?【武将評価シリーズ・その131】

2023年8月4日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

kuki yoshitaka

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第131回目は、九鬼水軍を率いた海賊大名こと九鬼嘉隆(くきよしたか)です。

ムッキムキなのニャ。

世紀末でも生き残れそうですね。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の長可児才蔵(吉長)は以下のリンクから。

 

人物について

九鬼嘉隆は天文11年(1542年)、九鬼定隆の三男として生まれました。

天文20(1551)年に父・定隆が亡くなると、その家督を長男の九鬼浄隆が継ぎました。

しかし浄隆も、永禄3年(1560年)に北畠具教の援護を受けた12人の地頭たちに攻め込まれ、亡くなってしまいます。

立て続けに当主が亡くなったのニャ。

嘉隆は、浄隆の子・九鬼澄隆をつれて逃走します。滝川一益の誘いを受け、織田信長に仕えることとなりました。

永禄12年(1569年)に信長が北畠具教を攻めたとき、嘉隆は水軍大将として大いに活躍しました。

北畠具教が信長と和睦すると、嘉隆は地頭たちを下して志摩統一を果たします。

復讐戦なのニャ。

こののち、信長の命により、嘉隆は澄隆に代わって九鬼家の当主となりました。また志摩領の所有も認められています。

毛利氏との戦いにおいては、信長から「燃えない船をつくれ」といわれたことで、鉄でできた「鉄甲船」をつくったといわれます。

有名な話なのニャ。

信長が亡くなり、秀吉の政権になると、嘉隆は水軍総大将として秀吉の天下事業に力を尽くします。

慶長2年(1597年)には息子の九鬼守隆に家督を譲って隠居します。

しかしその3年後の「関ヶ原の戦い」においては、息子の守隆は東軍についた一方で、嘉隆は西軍に味方します。どちらが勝っても九鬼家が生き残るという策略ですね。

真田昌幸とおなじ考えニャ。

「関ヶ原の戦い」ののち、息子の守隆は徳川家康に対して父の助命を申し出て、了承されました。

しかし九鬼守隆の家臣・豊田五郎右衛門が独断で、九鬼家存続のために切腹するよう嘉隆に伝えます。これをのんだ嘉隆は自害。享年59歳だったといいます。

はやまったことをしたのニャ。それにしてもいさぎよいのニャ。

この時代は自分の命よりもお家の存続という感じですね。

 

基本ステータスについて

統率:72
武勇:84
知略:75
政務:43
主義:革新

まあまあといったところニャ。

武将としては中の上ぐらいですね。

過去作でも統率・武勇は70~80台ぐらいなので、だいたいこんなパラメータになっています。

 

戦法・特性について

(戦法)
急襲:敵部隊の兵力減少。

(特性)
海神:水上での攻撃上昇。

修繕:所属上の耐久自然回復量上昇。

数奇:家宝をまれに入手。

(家宰)
早兵糧:部隊の能力上昇、腰兵糧の日数減少。

(奉公)
海賊心得:海賊輸送術が発令可能、すでに発令可能なら維持費削減。

あの顔でなにげに「修繕」「数奇」持ちなのニャ。

荒々しいイメージがありますが、津田宗及の茶会に参加したりなど、茶道に造詣が深い人物ともされていますね。

「海神」がありますので、水上戦には積極的に参加させたいところです。

 

総評

九鬼嘉隆は武勇にすぐれた中堅武将です。

武勇は84、統率・知略は70台あります。「海神」もあるので、水上戦には積極的に参加させていくのがよいでしょう。

また「修繕」「数奇」といったスキルもあるので、いろいろな場面で使っていけるとは思います。

海賊だけど茶人なのニャ。

次回は北畠具教です。【追記】次回できました。以下のリンクから。