『信長の野望・新生』武将能力:黒田長政の評価は?【武将評価シリーズ・その89】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第89回目は、黒田官兵衛の嫡男で「関ヶ原の戦い」の東軍勝利を導いた黒田長政(くろだながまさ)です。
竹中半兵衛の機転があってよかったといったところです。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の後藤又兵衛は以下のリンクから。
人物について
黒田長政は永禄11年(1568年)、黒田官兵衛の嫡男として生まれました。幼名は松寿丸。
官兵衛は信長の家臣・秀吉に従っており、人質として長政を差し出していました。秀吉やねねには可愛がられていたといいます。
天正6年(1578年)、信長に降伏した荒木村重が反旗を翻したことで、官兵衛がその交渉に向かうも、失敗して拘束されてしまいました。
信長は官兵衛がいつまでも戻らないため、裏切ったと思い込み、長政を処刑しようとします。
ここで竹中半兵衛が長政をこっそりひきとり、信長には「処刑した」との報告をしました。
「本能寺の変」で信長が亡くなったのち、官兵衛と長政は秀吉に仕え、その天下事業に貢献します。朝鮮出兵にも参加しました。
秀吉が亡くなったのち、石田三成と折り合いが悪かったことから、加藤清正らとともに襲撃をかけたこともありました。
「関ヶ原の戦い」では、当然徳川家康率いる東軍につきます。
黒田家と深いつながりのあった小早川家の小早川秀秋に調略をかけ、裏切らせることに成功。こうして戦いは東軍勝利となりました。
この功績によって、筑紫一国52万3000余石をあたえられて大大名となります。
長政は「福崎」という地名を「福岡」に改称し、福岡城を建設しました。
元和9年(1623年)に京都で死去。享年56歳だったといいます。
基本ステータスについて
統率:80
武勇:85
知略:82
政務:80
主義:革新
すべて80台のオールマイティ型ですね。
過去作だと70台も多かったので、評価されてきた形になっています。
戦法・特性について
(戦法)
攪乱:敵部隊の体力低下。
(特性)
牢固:自部隊の防御上昇。
用兵:敵部隊を挟撃中、自部隊の攻撃上昇。
巧言:他勢力との交渉に関する具申が可能。
どちらかといえば軍師タイプですね。攻めと守りのバランスがとれています。
総評
黒田長政はオールマイティ型の武将です。
パラメータはすべて80台で、スキルも「牢固」「用兵」「巧言」などがあるので、軍事・内政と活躍していけるでしょう。
次回は小早川秀秋です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。