『信長の野望・新生』武将能力:後藤又兵衛(基次/正親)の評価は?【武将評価シリーズ・その88】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第88回目は、「大坂の陣」で真田幸村とともに活躍した名将・後藤又兵衛(基次/正親)(ごとうまたべえ(もとつぐ/まさちか))です。
軍記もので有名な武将で、手塚治虫も「後藤又兵衛」という漫画を描いてますね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の本多正信は以下のリンクから。
人物について
後藤又兵衛は永禄3年(1560年)、後藤基国の次男として生まれました。
織田信長が秀吉に命じた中国攻めにおいて、黒田官兵衛は主君・小寺政職に「信長側につくよう」進言します。以降、官兵衛は秀吉について、中国攻めの手助けをしました。
一方で官兵衛は、息子・黒田長政の相手役として又兵衛に目をかけていました。しかし又兵衛の伯父・藤岡九兵衛が官兵衛に謀反したことから、追放されてしまいます。
以降は仙谷権兵衛に仕え、権兵衛が島津家久に大敗したのちは黒田家に戻って家臣となりました。それからは黒田長政を補佐し、朝鮮出兵などで活躍します。
秀吉亡きあと、「関ヶ原の戦い」においては黒田長政とともに東軍へつきます。戦場での活躍から、戦後は大隈城(益富城)の城主となりました。
しかし官兵衛が亡くなったのちは、長政との関係が悪くなり、黒田家を出奔することとなります。ここから牢人生活がはじまりますね。
慶長19年(1614年)、「大坂の陣」がはじまると、又兵衛は大坂城へと駆け付け、兵を指揮して徳川家康勢と戦うこととなります。
奮戦したものの、大坂夏の陣において伊達政宗軍の鉄砲による射撃を受けて負傷。最期は部下に介錯させて亡くなりました。享年56歳だったといいます。
基本ステータスについて
統率:82
武勇:89
知略:69
政務:32
主義:革新
武勇は90に届きませんが、「攻勢」持ちなので攻撃力は数値より高くなっています。
それと過去作でも武勇は70~80台でしたね。
戦法・特性について
(戦法)
早躯:自部隊の機動上昇。
(特性)
攻勢:自部隊の攻撃上昇。
用兵:敵部隊を挟撃中、自部隊の攻撃上昇。
ただ役に立つ戦闘スキルがそろっているので、いくさで活躍していけるでしょう。
総評
後藤又兵衛は野戦に特化した猛将です。
知略は69と低めですが、統率・武勇は80台あり、「攻勢」「早躯」「用兵」と戦場に特化したスキルもあります。
一線級の武将に比べると見劣りしますが、戦場では十分に活躍できるでしょう。
次回は黒田長政です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。