『信長の野望・新生』武将能力:竜造寺隆信の評価は?【武将評価シリーズ・その36】

2023年2月13日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

ryuuzouzi takanobu

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第36回目は、「肥前の熊」こと竜造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)です。

島津の「釣り野伏」でやられた人ニャ。

噛ませ犬的な感じもありますが、九州では武勇にすぐれた武将として名を馳せています。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の島津義久は以下のリンクから。

 

人物について

竜造寺隆信は享禄2年(1529年)、龍造寺周家の長男として生まれました。

宝琳院の豪覚和尚のもとにあずけられ、7歳のころに出家します。法名を円月と名乗りました。

最初は坊主だったのニャ。

天文14年(1545年)、祖父・龍造寺家純と父が、主君の少弐氏から謀反の疑いをかけられ、馬場頼周に殺されます。

隆信は曽祖父・竜造寺家兼に連れられ、難を逃れます。

家兼は挙兵して馬場頼周を討ち取り、竜造寺家を再興します。

かたきを討ったのニャ。

そののち、家兼は病死。隆信は還俗して家督を継ぎました。このときは「」と名乗っています。

ただこの家督相続には家臣たちからの不満も多く、内紛にまで発展します。隆信は大内氏の力を借り、家臣の不満をおさえこみました。

ところが大内義隆が家臣の陶隆房(のちに晴賢)に殺されたことで、隆信は肥前を追われました。

ゲーム中に何度も見せられるイベントニャ。

天文22年(1553年)、隆信は蒲池氏の助力のもと挙兵し、肥前を取り戻します。

隆信の母が重臣・鍋島清房と再婚すると、その子の鍋島直茂ともども隆信を補佐することとなります。

化け猫騒動の鍋島来たニャ。

そこからさらに永禄2年(1559年)、少弐氏も攻め滅ぼして支配権を確立しました。

下剋上ニャ。

やがて、隆信を危険視した大友宗麟が攻め込んできますが、鍋島直茂の奇襲によって撃退。敵大将の大友親貞も討ち取りました。

天正6年(1578年)、大友宗麟が「耳川の戦い」で島津義久に大敗すると、島津氏の勢力は大きく拡大していきました。

肥前・島原領主の有馬晴信が離反して島津氏についたことで、隆信はこれを討つべく大軍を率いました。

島津家久は有馬晴信の援護に駆け付け、竜造寺軍を隘路にさそいこみ、三方向からの伏兵による「釣り野伏」で仕留めました(沖田畷の戦い)。

このとき隆信は、川上忠堅に討ち取られてしまいました。享年56歳でした。

隆信の首は竜造寺家に返されましたが、受け取りを拒否されたため、願行寺に葬られたといわれます。

嫌われていたのニャ。

晩年は酒色におぼれ、少しでも疑いのある人物をどんどん処断したりなど、残忍な人物だったともいわれますしね。

ただ首を受け取らなかったのは、鍋島直茂が島津側と講和する気がないことの、怒りのあらわれともいわれています。実際こののちに、和平交渉を有利な条件で運ぶことができました。

 

基本ステータスについて

統率:85
武勇:86
知略:38
政務:75
主義:革新

けっこうバランスよいのニャ。

知略が低めなので攻城戦は苦手ですが、野戦では十分なステータスですね。

また政務も75あり、内政もそこそここなせます。

過去作だと知略70以上あった時期もありましたが、そこから「嵐世記」あたりで50台まで落ちて、現在は30代まで落ちてしまっていますね。

沖田畷の敗戦で、知略を低く見られてしまってるニャ。

 

戦法・特性について

(戦法)
激励:自部隊の攻撃上昇。

(特性)
攻勢:自部隊の攻撃上昇。

血気:合戦で積極的に部隊攻撃を行う。

馬術:自部隊の騎馬LV上昇。

「激励」「攻勢」でダブル攻撃力上昇ニャ。

 

総評

竜造寺隆信は猛将タイプの武将です。

統率・武勇は80以上ありますが、知略は38と低めです。

政務は75あるので、内政もそこそこできますね。

「激励」「攻勢」など、攻撃力アップのスキルを持っていますので、上手く使って戦っていきましょう。

熊のように暴れまわるニャ。

次回は鍋島直茂です。【追記】次回できました。以下のリンクから。