『信長の野望・新生』武将能力:竜造寺隆信の評価は?【武将評価シリーズ・その36】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第36回目は、「肥前の熊」こと竜造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)です。
噛ませ犬的な感じもありますが、九州では武勇にすぐれた武将として名を馳せています。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の島津義久は以下のリンクから。
人物について
竜造寺隆信は享禄2年(1529年)、龍造寺周家の長男として生まれました。
宝琳院の豪覚和尚のもとにあずけられ、7歳のころに出家します。法名を円月と名乗りました。
天文14年(1545年)、祖父・龍造寺家純と父が、主君の少弐氏から謀反の疑いをかけられ、馬場頼周に殺されます。
隆信は曽祖父・竜造寺家兼に連れられ、難を逃れます。
家兼は挙兵して馬場頼周を討ち取り、竜造寺家を再興します。
そののち、家兼は病死。隆信は還俗して家督を継ぎました。このときは「」と名乗っています。
ただこの家督相続には家臣たちからの不満も多く、内紛にまで発展します。隆信は大内氏の力を借り、家臣の不満をおさえこみました。
ところが大内義隆が家臣の陶隆房(のちに晴賢)に殺されたことで、隆信は肥前を追われました。
天文22年(1553年)、隆信は蒲池氏の助力のもと挙兵し、肥前を取り戻します。
隆信の母が重臣・鍋島清房と再婚すると、その子の鍋島直茂ともども隆信を補佐することとなります。
そこからさらに永禄2年(1559年)、少弐氏も攻め滅ぼして支配権を確立しました。
やがて、隆信を危険視した大友宗麟が攻め込んできますが、鍋島直茂の奇襲によって撃退。敵大将の大友親貞も討ち取りました。
天正6年(1578年)、大友宗麟が「耳川の戦い」で島津義久に大敗すると、島津氏の勢力は大きく拡大していきました。
肥前・島原領主の有馬晴信が離反して島津氏についたことで、隆信はこれを討つべく大軍を率いました。
島津家久は有馬晴信の援護に駆け付け、竜造寺軍を隘路にさそいこみ、三方向からの伏兵による「釣り野伏」で仕留めました(沖田畷の戦い)。
このとき隆信は、川上忠堅に討ち取られてしまいました。享年56歳でした。
隆信の首は竜造寺家に返されましたが、受け取りを拒否されたため、願行寺に葬られたといわれます。
晩年は酒色におぼれ、少しでも疑いのある人物をどんどん処断したりなど、残忍な人物だったともいわれますしね。
ただ首を受け取らなかったのは、鍋島直茂が島津側と講和する気がないことの、怒りのあらわれともいわれています。実際こののちに、和平交渉を有利な条件で運ぶことができました。
基本ステータスについて
統率:85
武勇:86
知略:38
政務:75
主義:革新
知略が低めなので攻城戦は苦手ですが、野戦では十分なステータスですね。
また政務も75あり、内政もそこそここなせます。
過去作だと知略70以上あった時期もありましたが、そこから「嵐世記」あたりで50台まで落ちて、現在は30代まで落ちてしまっていますね。
戦法・特性について
(戦法)
激励:自部隊の攻撃上昇。
(特性)
攻勢:自部隊の攻撃上昇。
血気:合戦で積極的に部隊攻撃を行う。
馬術:自部隊の騎馬LV上昇。
総評
竜造寺隆信は猛将タイプの武将です。
統率・武勇は80以上ありますが、知略は38と低めです。
政務は75あるので、内政もそこそこできますね。
「激励」「攻勢」など、攻撃力アップのスキルを持っていますので、上手く使って戦っていきましょう。
次回は鍋島直茂です。【追記】次回できました。以下のリンクから。