『信長の野望・新生』武将能力:最上義光の評価は?【武将評価シリーズ・その99】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第99回目は、「虎将」と称された山形の英雄・最上義光(もがみよしあき)です。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の長束正家は以下のリンクから。
人物について
最上義光は天文15年(1546年)、最上義守の子として生まれました。幼名は白寿丸。
長身で腕力にすぐれ、蔵王温泉で義光が持ち上げたとされる大石「義光公の力石」が、史跡としていまでも残っています。
親子仲はあまりよろしくなかったのですが、重臣・氏家定直の仲裁で和解。以降、義光が家督を継ぎます。
義光は出羽統一のため、妹の義姫を伊達輝宗のもとへ嫁がせ、関係改善をしました。二人の子が伊達政宗です。
こうして義光は出羽国の平定を果たし、支配領土を広げます。
豊臣秀吉の小田原征伐がはじまると、義光もこれに参戦。これによって出羽国24万石を安堵されました。
秀吉の甥・豊臣秀次が山形城に寄ったさい、義光の娘・駒姫に目をつけ、側室にしたいと執拗に迫りました。義光は断ったものの、あまりにしつこかったので、娘が成長してから側室にすることにしました。
やがて駒姫が京都の豊臣秀次のもとへ向かいます。しかし豊臣秀次は秀吉に謀反の疑いをかけられ、切腹させられました。これに連座する形で、駒姫も処刑されてしまいます。
義光は秀吉を恨み、「関ヶ原の戦い」においては徳川家康率いる東軍につきます。いくさの東軍勝利により、義光は57万石の大大名となりました。
慶長19年(1614年)に病死。享年69歳でした。
晩年は後継者問題で混乱があり、死後9年で最上家は改易させられてしまいました。
基本ステータスについて
統率:87
武勇:85
知略:88
政務:87
主義:中道
知勇兼備の武将といったところですね。
過去作だと武勇が70台のときも多かったのですが、近年では評価が上がっています。
戦法・特性について
(戦法)
羽州の虎将:自部隊の攻撃上昇。敵部隊の防御低下。
(特性)
乾坤:合戦で積極的に退き口を攻撃。
攻勢:自部隊の攻撃上昇。
策謀:特殊な調略具申が可能。
特別あつかい感はありますね。「攻勢」もあるので戦闘では役に立つでしょう。
総評
最上義光は智勇にすぐれた武将です。
パラメータはすべて80台で、「羽州の虎将」「攻勢」といった戦闘スキルもあります。
野戦・攻城と活躍していけるでしょう。
次回は古田織部です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。