『信長の野望・新生』武将能力:朝倉宗滴(教景)の評価は?【武将評価シリーズ・その102】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第102回目は、朝倉家の名軍師である朝倉宗滴(教景)(あさくらそうてき(のりかげ))です。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の義姫は以下のリンクから。
人物について
朝倉宗滴は文明9年(1477年)、朝倉孝景の八男として生まれました。
同名の別人ですね。宗滴の父は7代目当主で、義景の父は10代目当主です。10代目は曾祖父の名をいただいて同盟にしています。
宗滴の父・朝倉孝景は、「応仁の乱」が勃発していた時期に越前国を手に入れ、朝倉家の基盤を築きます。
朝倉家はその長男の朝倉氏景、そしてその子の朝倉貞景が継いでいきました。
ところが文亀3年(1503年)、宗滴の四番目の兄・朝倉景総と、その養子である朝倉景豊が謀反を起こします。
宗滴にも協力要請がとどきましたが、これを拒否。当主の朝倉貞景に伝えたことで、手柄として金ヶ崎城を得ます。これ以降、宗滴は朝倉家の軍事を取り仕切ることとなりました。
30万を上回る一向宗の反乱が起こったさいには、宗滴はわずか1万の兵で九頭竜川の急流を渡り、敵本陣を奇襲。30倍の軍を追い返したことで、その名が天下に知られるようになります。
以降、さまざまな戦いで連戦連勝。上杉謙信からも陣営へのお誘いのお手紙が来たぐらいでした。
朝倉義景が朝倉家の11代目当主になると、宗滴はそれを補佐します。
天文24年(1555年)、一向宗との戦いの中で病死。享年79歳だといいます。
宗滴を失った朝倉家ですが、朝倉義景の代で滅びてしまいました。
基本ステータスについて
統率:92
武勇:86
知略:91
政務:73
主義:中道
実際に朝倉家を取り仕切っていた人物ですしね。
過去作でも能力が高い人物として知られています。
戦法・特性について
(戦法)
激励:自部隊の攻撃上昇。
(特性)
鉄壁:所属城の耐久ダメージ減少。
血気:合戦で積極的に部隊攻撃を行う。
用兵:敵部隊を挟撃中、自部隊の攻撃上昇。
「九頭竜川の戦い」では、自ら武器を振って敵を倒していましたしね。
総評
朝倉宗滴は軍師タイプの武将です。
統率・知略は90以上あり、武勇も86あります。
「激励」「鉄壁」もあり、戦場で活躍していけるでしょう。
次回は小島弥太郎です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。