『信長の野望・新生』武将能力:片倉小十郎(景綱)の評価は?【武将評価シリーズ・その62】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第62回目は、伊達政宗を長年支えつづけた智将・片倉小十郎(景綱)(かたくらこじゅうろう(かげつな))です。
戦国時代なのにスタイリッシュな眼鏡かけてますしね。
ちなみに「小十郎」は片倉家の当主が代々襲名した名乗りですが、ここでは初代小十郎である片倉景綱のことです。記事では「小十郎」で表記します。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の太原雪斎は以下のリンクから。
人物について
片倉小十郎は弘治3年(1557年)、米沢にあった八幡宮の神職・片倉景重の次男として生まれました。
幼いときに両親を亡くし、20歳ほど離れている異父姉の片倉喜多に育てられます。
永禄10年(1567年)、伊達輝宗の嫡男・伊達政宗が生まれると、喜多は政宗の乳母に任じられます。
小十郎も輝宗の小姓として仕え、政宗が8歳になったときには教育係に任じられました。
有名な逸話としては、政宗の右目を小十郎が摘出した話でしょう。
また政宗の右脇腹が膨張して夜も眠れず、「自分で切り取りたいが切腹扱いされるのが困る」とのことで小十郎にやらせました。小十郎は熱した鉄棒を自分の大腿に刺し、命に別条がないことを確認してから、政宗の手術をおこないました。
さらに小十郎に嫡男・片倉重長が生まれたときには、「主君より先にあと取りを得ることができない」と、我が子を殺そうとします。政宗の助命によって、何とか事なきを得ました。
それだけ強い信頼関係があったということでしょう。
天正13年(1585年)、畠山義継が輝宗を拉致しようとしたところ、政宗は父ごと一人残らず殺してしまいました。
輝宗が「自分ごと撃て」といった説もありますが、実際のところはどうなんでしょうね。「大坂夏の陣」で友軍を撃ってますしね。
これがきっかけで、佐竹氏・蘆名氏らの連合軍との戦い「人取橋の戦い」が勃発します。この戦いの最中、政宗が敵に囲まれたとき、小十郎が政宗のふりをして敵をひきつけました。最後は鬼庭良直の捨て身の活躍により、政宗は一命をとりとめました。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐においては、伊達成実ら重臣は北条氏を助けるよういいましたが、小十郎は時流を読んで政宗に「秀吉に協力するよう」いいます。
秀吉は小十郎の才を気に入り、直臣として迎え入れようとしたこともありましたが、小十郎はこれをことわっています。
徳川家康も「関ヶ原の戦い」の翌年に、小十郎に屋敷を送ろうとしましたが、すでに伊達家の江戸屋敷があったのでこれを断っています。
政宗が仙台藩主になると一国一城令が敷かれましたが、特例として小十郎は白石城の城主となりました。それだけ家康の信頼を得ていたからでしょう。
「大阪の陣」では病で参加できず、代わりに嫡男の重長が戦いました。このとき、真田幸村が落城前に三女・阿梅を重長にあずけ、重長の側室になったという逸話があります。
元和元年(1615年)、病のために死去。享年59歳だったといいます。
基本ステータスについて
統率:85
武勇:79
知略:93
政務:85
主義:革新
戦闘も政治もこなせるオールラウンド型の武将ですね。武力が低いあたりは軍師っぽさを出しています。
過去作だと70~80台ぐらいで現在ほど高くはありませんでしたが、「無双」キャラになってからステータスが跳ね上がった感じはあります。
戦法・特性について
足止:敵部隊の機動低下。
(特性)
差配:合戦で積極的に味方部隊を救援。
作事:城下施設の建設効率上昇。
竜騎兵:自部隊の騎馬LV・鉄砲LV上昇。
「足止」「差配」など、間接的なスキルですね。
また内政スキルとしては「作事」がありますので、内政面でも役立てていけるでしょう。
総評
片倉小十郎は軍師タイプの武将です。
知略は93あり、統率・政務も80台あるので、戦闘と政治で活躍できるでしょう。
「作事」もあるので、上手く使っていきたいところです。
次回は伊達成実です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。