『信長の野望・新生』武将能力:島津義弘の評価は?【武将評価シリーズ・その11】

2022年8月16日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

yoshihiro simazu

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第11回目は、九州最強の武将「鬼島津(鬼石曼子)」こと島津義弘(しまづよしひろ)です。

兄の義久の前に義弘なのニャ。

「鬼島津」の知名度のほうが高いですしね。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の長宗我部元親は以下のリンクから。

 

人物について

島津義弘は島津四兄弟(義久、義弘、歳久、家久)の次男です。父は島津貴久

永禄9年(1566年)、父・貴久が隠居すると、兄・義久が家督を継ぎました。

義弘は兄・義久を補佐し、いくさ方面で活躍をしました。

兄が内政、義弘は外交(外攻)なのニャ。

元亀3年(1572年)、日向国の伊東義祐が3千の兵を率いて攻め込んできたとき、わずか3百の兵でこれを返り討ちにしました。わざと負けたふりをして敵を誘い、3方向から敵を囲む包囲作戦「釣り野伏」が成功したのですね。

囲んで殴る」は最強の戦術ニャ。

「釣り野伏」自体は弟・家久の考案ともいわれますが、「囲んで殴る」自体は島津氏の得意技でもありました。

天正5年(1577年)、今度は大友宗麟が攻めてきます。

キリシタン大名来たニャ。

このときの「耳川の戦い」も伏兵を使った包囲攻撃で、大友宗麟の軍を退けました。

九州統一目前まで迫った目前で、豊臣秀吉が「九州停戦令」を出してきました。島津氏はこれを拒否したことで、秀吉と対立することになります。

前回の長宗我部元親も、この派兵に参加しました。漫画「センゴク」で有名な仙石秀久も参加していますね。

島津氏はこれら四国連合を返り討ちにしましたが、そのあとで秀吉が20万以上の大軍を送り込んできます。

圧倒的な兵力差に敗れ、兄・義久は降伏。

義弘は徹底抗戦の構えでしたが、兄の説得によって、子の島津久保を差し出すことで降伏を受け入れました。

天下統一後、秀吉は朝鮮出兵を敢行します。

義弘も朝鮮出兵に加わり、慶長3年1598年)の泗川の戦い」では7千の兵で大軍を討ち破るなどの活躍をし、敵から「鬼石曼子(グイシーマンズ。鬼島津)」と恐れられました。

関ヶ原の戦いにおいては、大坂にいた一千ほどの兵で西軍に参戦。

いくさは東軍が勝ち、その撤退戦において、義弘は「正面突破で撤退」を敢行しました。「たとえ討たれると言えども 敵に向かって死すべし」の名言で有名ですね。

敵につかまっても、味方がとどまって、全滅するまで敵を足止めする「捨て奸(がまり)」戦法によって、退却を成功させます。のちに「島津の退き口」として語られるようになりました。

冷静に考えてみると、部下にとってはひどい作戦ニャ。

関ヶ原後は徳川家康と島津氏は和解し、義弘も許されました。

晩年は若者の教育に力を注ぎ、85歳で亡くなったといいます。

長生きなのニャ。本当に頑丈な人だったのニャ。

 

基本ステータスについて

統率:95
武勇:93
知略:84
政務:80
主義:革新

活躍のわりに、武勇が低い気がするニャ。

四男の家久が武勇97ありますので、そこから考えると低い気もしますね。

ちなみに「将星録」だと武勇97(家久は91)、「天道」だと105(家久は82)ありました。80台のときもありましたので、シリーズでけっこう評価がぶれていますね。

いまは家久のほうが評価が高いのニャ。

 

戦法・特性について

(戦法)
急襲:敵部隊の兵力減少。

(特性)
鬼島津:自部隊の兵力が少なくなると、攻撃上昇。

乾坤:合戦で積極的に退き口を攻撃。

砲術:自部隊の鉄砲LV上昇。

「急襲」は「九州」のシャレなのかニャ?

「捨て奸」を入れればよかったのにとは思いますね。汎用戦法なのが残念です。

ちなみに「釣り野伏」のほうは家久に取られてしまっています。

 

総評

過去作に比べて、本作の戦闘能力は控えめになってはいますね。

戦法もオリジナル戦法ではないので、どこか手抜き感があります。

「捨て奸」でよかったのニャ。

今回はちょっと残念感がある能力でした。

次回は石田三成です。【追記】次回できました。下のリンクから。