『信長の野望・新生PK』武将能力:小田氏治の評価は?【武将評価シリーズ・その184】

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『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第184回目は、なんど負け戦をしても立ち直る「常陸の不死鳥」こと小田氏治(おだうじはる)です。

コンプリートエディションのアップデートで新特性「不死鳥」がついたのニャ。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の北条氏綱は以下のリンクから。

 

人物について

小田氏治は享禄4年(1531年)、常陸の大名・小田政治の子として生まれました。

初陣は天文15年(1546年)。父・政治とともに手賀氏を攻めるものの、敗れてしまいます。

初陣から負けたのニャ。

天文17年(1548年)に父・政治が亡くなると、その家督を継ぎました。

弘治元年(1555年)には常陸太田城主・佐竹義昭佐竹義重の父)とともに、下総結城城主・結城政勝を攻めます。

結城政勝は北条氏康の力を借り、逆に小田領へ侵攻。「海老ヶ島の戦い」で氏治は敗れ、海老ヶ島城と居城である小田城までとられてしまいました。

攻め返されて居城までうしなったのニャ。

しかし北条氏康は佐竹義昭に対抗するため、氏治と和睦。ここで氏治は小田城をうばいかえします。

永禄3年(1560年)、上杉謙信が北条討伐にうごくと、氏治はこれにしたがいます。佐竹義昭とともに結城城を攻め、降伏させました。

謙信の北条討伐は失敗し、翌年に氏治は北条側へとつきます。

永禄7年(1564年)には謙信や佐竹義昭が攻め込んできて、小田城を奪われてしまいます。

ところが翌年、佐竹義昭が亡くなったあとのごたごたの隙をつき、小田城を奪還。しかし翌年にまた謙信が攻め込んできたので、小田城の城壁を修復しないという条件で降伏しました。

小田城を奪われたり奪い返したりで忙しいのニャ。

小田城領内で人望があったことから、奪い返すのに地元民が協力してくれたというのがありますね。

永禄12年(1569年)、佐竹義昭のあとを継いだ佐竹義重が領内に攻め込んできました。海老ケ島城はまたもや奪われましたが、小田城外での野戦で佐竹義重を撤退させます。

その勢いで、太田資正の守る片野城へと攻め込みましたが、敗れてしまい小田城もとられます。

この人は攻めないほうがいいのニャ。だいたいカウンターくらってるのニャ。

小田城奪還のために佐竹義重とのいくさを繰り広げますが、逆に攻められてどんどん城をうしなっていきます。

やがて秀吉の小田原征伐がはじまります。佐竹氏は豊臣側なので、その城である小田城をとろうとしていることをとがめられ、領土をすべて没収されてしまいました。これで大名としての小田氏は滅亡します。

踏んだり蹴ったりニャ。そもそももともと自分の城ニャ。

氏治は秀吉に罪を謝罪し、結城秀康家康の次男。秀吉の養子)に仕えることとなります。

慶長6年(1601年)に死去。享年68歳でした。

 

基本ステータスについて

統率:46
武勇:52
知略:46
政務:49
主義:保守

すごい普通ニャ。

パラメータは50前後の平凡な武将という感じですね。

 

戦法・特性について

(戦法)
早駆:自部隊の機動上昇。

(特性)
不死鳥:城が陥落すると、一年間出陣部隊の能力を強化。

一所懸命:同一城に属す全郡で領内行動の集落掌握速度が上昇。

城乗:敵城への耐久ダメージ増加。

(家宰)
辣腕統治:領内行動の集落掌握速度上昇、部隊の能力減少。

(奉公)
高家心得:高家の誉れが発令可能、すでに発令可能なら維持費削減。

新特性の「不死鳥」があるニャ。

発動条件として自分の城が陥落しないといけないのがなんだかなーといったところです。そもそもゲーム内だと小田城しかありませんし、どないしろと。まあ、小田城を奪われたり奪ったりをあらわしたスキルといえましょう。

「一所懸命」や「辣腕統治」があるのは、領民に慕われてていたことを表現していますね。

 

総評

小田氏治は平均的な凡将です。

能力は50前後で、普通の武将といったところです。

新特性「不死鳥」は、発動条件に「自城の陥落」があるため、ちょっとネタ的な感じになっています。

「一所懸命」があるので、集落掌握に力を入れるといいでしょう。

次回は佐竹義昭です。