『信長の野望・新生』武将能力:酒井忠次の評価は?【武将評価シリーズ・その83】

2023年4月29日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

sakai tadatsugu

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第83回目は、徳川四天王筆頭の酒井忠次(さかいただつぐ)です。

大河ドラマ「どうする家康」でも出てきたのニャ。

家康の幼いころからずっとつきそっており、家康からの信頼の厚い人物として知られていますね。「宴会芸が得意な人」という一面もあり、家臣団を盛り上げていきました。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の森蘭丸は以下のリンクから。

 

人物について

酒井忠次は大永7年(1527年)、酒井忠親の次男として生まれました。

徳川家康の父・松平広忠に仕え、家康が今川義元の人質として駿府に送られたときも同行しています。

弘治2年(1556年)、織田軍の柴田勝家が福谷城を攻めたさいは城外に出て戦い、敗走させました。

シバターに勝ってるのニャ。

「桶狭間の戦い」ののちは、徳川家の家老となって家康を支えていきます。

「長篠の戦い」のおいては、武田勝頼の軍を背後から奇襲し、織田信長にもその功労を認められました。

天正7年(1579年)、家康の嫡子・松平信康が切腹を命じられる事件がありました。理由は諸説ありますが、松平信康の妻・徳姫との不仲説があります。

徳姫は信長の娘です。父・信長に不満を訴える手紙を書いたところ、信長は激怒。松平信康に切腹を命じます。

家康は忠次に事をおさめるよう命じましたが、うまくいかず、けっきょく松平信康は切腹してしまいます。

家康はこれを恨みに思い、忠次との仲が悪くなっていきました。

別に忠次が悪いわけでもないのに理不尽ニャ。

ただ近年では「そもそも家康が切腹させた説」もあり、以降も忠次は家康第一の重臣として仕えています。

「小牧・長久手の戦い」においては森長可を敗走させるなど、戦場での活躍も続いていますね。

慶長元年(1596年)10月28日、京都桜井屋敷で死去。享年70歳だったといいます。

長い間、家康を支えていたのニャ。

 

基本ステータスについて

統率:86
武勇:75
知略:86
政務:60
主義:革新

悪くはないけど、本多忠勝井伊直政と比べると劣るのニャ。

その2人は規格外な感じですしね。こんなところだとは思います。

過去作だと政務が70台の時期がけっこう多かったのですが、本作では60になっています。

 

戦法・特性について

(戦法)
罵声:敵部隊の防御低下。

(特性)
乾坤:合戦で積極的に退き口を攻撃。

自衛:自勢力内では自部隊の防御上昇。

巧言:他勢力との交渉に関する具申が可能。

どっちかというと守り向きのスキルニャ。

地味に「巧言」持ちだったりしますね。

 

総評

酒井忠次は、能力的には上の下といった武将です。

本多忠勝レベルと比べれば見劣りしますが、統率・知略は80台、武勇は75と、戦闘方面は問題ありません。

攻めスキル不足という欠点もありますが、他の武将とともに戦場で活躍していけるでしょう。

四天王筆頭の力を見せるのニャ。

次回は榊原康政です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。