『三國志14』武将能力:袁紹の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その25】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第25回目は、四代に渡って三公を出した名門袁氏の血筋・袁紹(えんしょう)についてお届けします。前回の龐統は以下のリンクから。
人物について
袁紹、字は本初(ほんしょ)。汝南郡・汝陽県の人です。
祖父の祖父である袁安は、漢王朝で司徒を務めていました。司徒は三公(司徒・太尉・司空)という高い位のうちの一つですね。
袁安の子の一人である袁敞は司空、袁安の孫の袁湯は太尉になりました。さらに袁湯の子の袁逢は司空、袁隗は司徒になります。
ちなみに袁逢は袁術の父親にあたりますね。
不明ですね。
「英雄記」によれば、袁湯の子である袁成になっています。しかし袁紹が幼いころに亡くなったため、袁紹はおじの袁逢や袁隗に育てられました。
しかし「魏書」では袁紹は袁逢の私生児で、袁成は養父になっていますね。
「三国演義」はこちらの説を採用していて、袁紹は「妾の子」と袁術から蔑まれていました。
袁紹はりっぱな顔立ちのうえに謙虚だったため、多くの人たちに慕われていました。曹操とも若いころから親交がありました。
二十歳になると濮陽の長になりました。しかし母親が亡くなると喪に服し、それが終わると遡って父の喪にも服しました。合わせて六年間を墓のそばの小屋で過ごしたといいます。
それが終わると今度は洛陽で隠遁生活を送ります。むやみに客と会わず、朝廷のお召しがあっても応じませんでした。やがて袁隗から注意され、やっと腰を上げて朝廷に仕えました。
董卓が朝廷を牛耳るようになると、袁紹は都を離れて冀州へと逃げます。
反董卓連合が結成されたときには、袁紹はその盟主となりました。しかしこの戦いのさなか、董卓は袁隗ら一族を処刑してしまいます。
反董卓連合が瓦解してからは、袁紹は公孫瓚と対立することになります。
公孫瓚を滅ぼしたのちは、今度は旧友でもある曹操との全面戦争に入ります。
戦いでは、曹操軍の烏巣強襲によって兵糧を焼かれ、袁紹は冀州への撤退を余儀なくされます。
しかし曹操も冀州まで攻め込むことはできず、膠着状態のまま袁紹は病で亡くなってしまいました。
官渡の戦いに敗れたとはいえ、冀州での袁氏の力は強いですからね。
問題はやはり、袁紹が後継者を決めずに亡くなってしまったことでしょう。これによって袁紹の子である袁譚と袁尚が争うこととなります。曹操はその隙をついて両者を討ち、袁氏を滅ぼしました。
最終的に曹操が勝ったとしても、時間がかかっていたかもしれませんね。
今回はそんな袁紹の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
たしかにパラメータの形は劉備に近いですね。統率は高めに設定されています。
1のころは武力82で、『三國志5』までは80台が続いていました。それが60台になった代わりに、統率を80台にしたという形ですね。
曹操はパラメータが規格外に高いですしね。
あと政治も40~70台のレンジで推移していましたが、『三國志7』以降は70台で落ち着いていますね。
個性について
督将:特定範囲内の味方ユニットの破城が上昇(艦船、兵器以外)。
使役:府の上にいると、全部隊の能力が上昇。
名声:地域担当官にすると土地占領が拡大。捕虜時の身代金増加。
優柔:自ユニットが「足止」にかかっている時間を延長。
高慢:一定兵数以下で自ユニットの全能力低下。
「使役」は府の上にいると全能力アップですので、地形によっては上手く使うこともできます。
袁紹の一番の問題は「高慢」ですね。ただでさえ兵数が減って弱っているところに、全能力までもが低下するというダブルパンチです。
あまり前線で戦わせたくはないですね。兵器を使ってもらうのがいいかと思います。
陣形と戦法
魚鱗、鶴翼、井闌、衝車
「井闌」「衝車」の兵器持ちなので、顔良・文醜に守ってもらいながらの都市攻めをしたいところです。
袁家威光:味方の全能力+士気アップ。対拠点可。
鯨波:味方の破城アップ+敵の攻軍ダウン。対拠点可。
治癒:負傷兵回復。対拠点可。
井闌:ダメージ。対拠点可。
衝車:耐久ダメージ。対拠点可。
都市攻め向きの戦法ばかりです。戦いは猛将たちに任せて、兵器での出陣のほうが良い気はします。
総評
袁紹は都市攻めに適した戦闘ユニットです。
味方ユニットの破城が上昇する「督将」や、「井闌」「衝車」の兵器持ちなので、これらを活用していきたいところです。
「袁家威光」を使うばあいは「魚鱗」か「鶴翼」になりますが、兵数が減ると「高慢」によって全能力ダウンがあるため注意したほうがいいでしょう。
パラメータは平均的なので、内政・戦争と、そこそこに役立ってくれるかと思います。
次回ですが、流れ的に袁術を予定しています。
↓次回できました。