『三國志14』武将能力:諸葛恪の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その93】|三国志14

2020年6月4日三国志武将能力評価三国志, 三國志, 三國志14武将評価シリーズ

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『三國志14』三国志武将評価シリーズの第93回目は、諸葛瑾の子である呉の大将軍・諸葛恪(しょかつかく)についてお届けします。前回の諸葛瑾は以下のリンクから。

人物について

父親と違って、悪そうな顔をしてるニャ。

諸葛恪、字は元遜(げんそん)。前回登場した諸葛瑾の長男です。弟には諸葛喬・諸葛融がいます。

身の丈は七尺六寸(約183メートル)。ひげや眉は薄く、鉤鼻でひたいは広く、口が大きく声が高かったそうです。

若いころから才能にあふれ、とくに弁舌に長けていました。対等に議論を戦わせることのできる者はいなかったといいます。

ようするに口がうまかったのニャ。

諸葛瑾は面長でロバに似ていました。孫権は群臣たちをいる席で一匹のロバを引いてこさせ、そのひたいに札を貼って「諸葛子瑜(子瑜は諸葛瑾の字)」と書かせました。

孫権も子どもっぽいことをするのニャ。

そこへ諸葛恪が出てきて、孫権の前でひざまずき、

「筆で二文字書き加えることを許してください」

と頼みます。

孫権はそれを許すと、諸葛恪は「諸葛子瑜」の文字に続けて「之驢(のロバ)」と書き加えました。「諸葛子瑜之驢(諸葛瑾のロバ」ということですね。

一同はそれを見て笑い、ロバは諸葛恪に下賜されたのです。

父の名誉を守って、ロバももらえたのニャ。

またあるとき、孫権は諸葛恪にたずねました。

「おまえの父とおじ(諸葛亮)はどちらが優れておるか」

すると諸葛恪は答えました。

「わたくしの父は仕えるべきところを知っておりますが、おじはそれがわかりません。ゆえに父のほうが優れています」

孫権はこれを聞いて大笑いしました。

受け答えがうまいのニャ。

このほかにも諸葛恪の問答は多くあります。

孫権は諸葛恪をたいそう気に入り、軍の兵糧を統括する「節度」の役目をあたえました。しかし文書の処理が煩雑で、諸葛恪の望むところではありませんでした。

口はうまいけど、事務仕事は苦手なのニャ。

諸葛亮は諸葛恪が兵糧管理を担当するのを知ると、陸遜に、

「我が兄は年をとり、その子はいい加減な性格です。兵糧管理は軍の要。役目を変えるべきでしょう」

と手紙を送りました。

陸遜も諸葛恪の性格を不安に思っていたので、すぐに孫権に上奏して役目を変えさせました。

諸葛亮がわざわざ蜀から手紙を送って忠告したのニャ。

諸葛瑾もつねに息子の性格を心配し、恪はわが家を盛んにもするが、一族を根絶やしにもするだろう」といっていました。身内の者にとっては問題児に見えたのでしょう。

しかし親の心配とは裏腹に、諸葛恪は山越平定や魏と戦いで功績をあげます。

陸遜が亡くなったのちには、大将軍にまで昇進します。そして陸遜に代わって荊州の軍事全般をあずかりました。

順調に出世したのニャ。

孫権が病床につくと、後事を諸葛恪や孫弘らに託しました。というのも、皇太子の孫亮がまだ幼かったのです。

孫権が亡くなったのち、諸葛恪と仲の悪かった孫弘は粛清されるのを恐れ、孫権の死を隠しました。そして勅書を捏造して諸葛恪を排除しようとしたのです。

しかしこの件は漏れてしまい、逆に孫弘は諸葛恪に呼び出されて殺されてしまいます。

こうして邪魔者がいなくなった諸葛恪は、孫亮を補佐し、呉の実権を握ることになりました。

行き着くところまで行ったニャ。これは調子に乗って失敗するパターンニャ。

ところが諸葛恪は未納の税をすべて帳消しにし、関税も取りやめ、すべてにおいて恩沢を施しました。これによって、呉の人びとから大きな支持を得たのです。

諸葛恪が外出するたびに、民は首を伸ばしてその姿を見たいと願ったといいます。

なかなか失敗しないニャ。なんか腹が立ってきたニャ。イラストからしてろくなやつじゃないのはわかってるニャ。

また諸葛恪は、韋昭に「呉書」の編纂を命じました。これがのちに陳寿「三国志」の呉書のもととなります。韋昭については、彼が主人公の小説「三国志博奕伝」(文春文庫)が詳しいでしょう。

やっぱり出てきたニャ。

魏の諸葛誕らが攻め込んできたとき、諸葛恪はこれを討ち破って大きな戦果をあげました。

国内の軍事は諸葛恪に任されたのですが、ここで諸葛恪は魏への侵攻を主張します。

呉の朝臣たちは反対しましたが、諸葛恪は聞き入れません。強く反対する者がいれば、会議からつまみ出されるという始末です。

調子に乗り出したニャ。これはとうとう来たかニャ。

諸葛恪は人びとの反対を押し切り、州や郡に大動員をかけ、二十万の大軍で魏へと攻め込みました。このことから、呉の人心が離れていきます。

諸葛恪は合肥新城を包囲しました。

魏の司馬師は、張特・文欽毌丘倹に城を守備するよう命じます。

このころ文欽は、まだ魏にいたのニャ。

しかし呉の攻撃は激しく、城壁もボロボロになりました。

張特は勝ち目がないことを知り、諸葛恪に、

「魏の法では、百日間城を守れば、降伏しても罪にはならず、家族が処刑されることもありません。あと数日で百日になるので、それまでお待ちください」

と提案します。

諸葛恪はこれを聞き入れ、攻撃を控えました。

しかしそのあいだに張特は城壁の修復をすませ、徹底抗戦の構えを見せます。

あっさりださまれたのニャ。敵をあなどりすぎニャ。

諸葛恪は怒って攻撃を続けました。しかし陣営では暑さのために多くの兵士たちが生水を飲み、下痢などの病気を起こしていました。

これらの報告は諸葛恪のもとに届きましたが、「嘘偽りの報告」として、報告した役人を斬ろうとしました。以降、誰も実情を報告しなくなりました。

「アーアー聞こえない」状態ニャ。

もちろん諸葛恪自身も内心、今回の遠征が失敗であったことをわかっていました。しかし、いまさら引き上げるわけにもいかず、どんどん不機嫌になっていきました。

将軍の朱異が今回の出兵を批判すると、諸葛恪は怒って兵を取り上げてしまいました。

また都尉の蔡林は作戦を建議しましたが、すべて無視されたため、諸葛恪を見限って魏へと亡命してしまいました。

順調に破滅に進んでいるニャ。

けっきょく諸葛恪は軍を引き上げました。しかし兵士たちは病気にかかっており、道中で命を失う者も少なくありません。皆、怨嗟の声をあげていましたが、諸葛恪は気にする様子もありませんでした。

やっぱりろくでもないやつニャ。

長江までたどり着くと、本国へもどらずそこでひと月とどまり、屯田をおこなう計画を立てました。

まだ戦う気なのニャ。自分の失敗を否が応でも認めたくないのニャ。イラストの悪人顔は正しかったのニャ。

やがて本国から帰国するよう勅書が何度も送られてきたため、やっとのことで軍を返しました。

しかし帰還したのち、中書令の孫嘿(そんもく)を呼び出し、「なぜ勅書をでっちあげて呼び返したのか!」と叱りつけました。

それから自分の権力を誇示するため、出陣中に任命された地方官などをすべて辞めさせ、決めなおさせました。

さらに多くの者を断罪したり叱責したりし、ふたたび出陣の準備をはじめたのです。

これはもう終わりが来たニャ。

呉の皇族の孫峻は、民の多くが諸葛恪に不満を抱いているのに乗じ、天子(皇帝)の孫亮とともに暗殺をくわだてました。

天子までも敵にまわったのニャ。

孫亮が諸葛恪を酒宴に招き、その席で孫峻が「勅命によって逮捕する」と諸葛恪を斬り殺しました。その死体はむしろに巻かれ、丘陵地帯に投げ捨てられました。享年51歳でした。

諸葛恪の一族も皆殺しにあいました。諸葛瑾が心配していたことが現実になったのです。

やっぱり調子に乗りすぎるとろくなことがないニャ。謙虚な父親とは性格が正反対ニャ。

ちなみに諸葛恪亡きあと、孫峻が朝廷の権力を掌握して専横をおこないます。

しかし最期は心臓が悪くなり、諸葛恪に殴られる夢を見て、恐れのあまり病にかかって亡くなりました。

あの世から復讐してきたのニャ。

今回はそんな諸葛恪の能力を見ていきましょう。

 

基本ステータスについて

統率:72
武力:47
知力:90
政治:80
魅力:64
主義:我道
政策:施設開発(Lv5)(Lvで施設開放(2:石壁、4:軍楽台、7:砦、10:投石台)
父親:諸葛瑾
親愛武将:
顧譚、聶友(じょうゆう)、孫登、張休、陳表
嫌悪武将:朱績、孫峻、滕胤、羊衜(ようどう)

知力90ニャ。父親(知力81)よりも高いニャ。

本作の知力ランキングにもランクインしていますしね。

諸葛恪が「三國志」シリーズに登場するのは『三國志2』からで、そのときは知力95ありました。そこから落ちていった形ですね。

親愛武将も嫌悪武将も知らない武将だらけニャ。

後期三国志の人物ですしね。全員呉の臣です。

顧譚・張休・陳表の3人は、諸葛恪とともに太子・孫登の四友といわれていました。

聶友は諸葛恪の友人で、その専横を諫めましたが聞き入れられませんでした。

朱績朱然の子ですね。諸葛恪の一族とは関係が悪かったです。

滕胤は諸葛恪の魏への出兵を諫めています。羊衜は諸葛恪を批判したことで冷遇されてしまいました。

諸葛恪は本当に人の話を聞かないやつなのニャ。

 

個性について

妙算:特定範囲内の敵ユニットの防御が低下(艦船、兵器以外)。

使役:府の上にいると、自ユニットの全能力が上昇。

扇動:特定範囲内の敵ユニットが「混乱」になったさい、その期間を延長。

智嚢:提案に登場しやすい。

高慢:一定兵数以下で自ユニットの全能力が低下。

高慢」持ちニャ。

兵数低下時に、さらに弱くなってしまうというバット個性です。壊滅には気をつけたほうがいいでしょう。

敵の防御を落とす「妙算」があるので、仲間のサポートをしていくのがいいかと思います。

 

陣形と戦法

陣形

魚鱗、雁行、鶴翼、衝車

けっこう陣形多いニャ。

選択肢があるのはいいことですね。都市攻めのときは「衝車」で行くのもいいでしょう。

戦法

機知奇策:敵の全能力ダウン+ダメージ。

連弩:ダメージ+「足止」付与。対拠点可。

業火:発火。対拠点可。

混乱:「混乱」付与。対拠点可。

罵声:敵の士気+攻軍ダウン。対拠点可。

矢嵐:ダメージ。

固有戦法持ちニャ。

「機知奇策」はダメージ技ですが、敵の全能力もダウンさせます。これを食らわせたあと、味方とともに一気にたたみこみましょう。

混乱」は、その期間を延長させる「扇動」で相乗効果が狙えますね。

 

総評

諸葛恪は軍師タイプの武将です。

統率・武力は高くありませんが、敵の防御を落とす「妙算」や、「混乱」を延長させる「扇動」で、味方をサポートしていくことができます。

また敵の全能力を落とすダメージ技「機知奇策」もあるので、味方とうまく連携していきましょう。「高慢」があるので兵力低下には注意が必要です。

人材の少なくなった後期三国志では活躍できそうニャ。

次回は諸葛亮の子、諸葛瞻(しょかつせん)を予定しています。

↓次回出来ました。