『信長の野望・新生』武将能力:吉川元春の評価は?【武将評価シリーズ・その49】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第49回目は、毛利元就の次男である吉川元春(きっかわもとはる)です。
毛利最強の武将ともされていますね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の山中鹿之介は以下のリンクから。
人物について
吉川元春は享禄3年(1530年)、毛利元就の次男として生まれました。
天文16年(1547年)7月になると、元就が名門・吉川家を乗っ取るために、母方の従兄の吉川興経のもとへ、元春を養子に出します。
そして3年後、元就は吉川興経の家督を、強制的に元春に譲らせました。そして吉川興経とその子・千法師を殺してしまいます。
元就は三男の徳寿丸(小早川隆景)も小早川家に養子に出し、同様に家督を継がせて乗っ取りました。
こうして吉川元春・小早川隆景は「毛利両川」と呼ばれ、毛利家を支えていきます。
弘治元年(1555年)、「厳島の戦い」においては、元就は陶晴賢率いる大内軍を宮島に誘い込みます。そして水路からは村上水軍を味方につけた隆景が、陸路からは元春が兵を率いて攻め込み、大内軍を撃退しました。
元亀2年(1571年)に元就が亡くなると、長男・毛利隆元の子である毛利輝元が家督を継ぎました。元春と隆景は、甥である輝元を支えます。
尼子氏は毛利氏に対抗するため織田信長を頼ります。
また足利義昭が毛利氏を頼ってきたため、信長との対立は避けられなくなりました。
羽柴秀吉(豊臣秀吉)が軍を率いて中国へ乗り込んでくると、元春はこれと戦います。
天正6年(1578年)には尼子勝久の籠る上月城を攻め、降伏させました。このときに山中鹿之介を捕らえています。
秀吉軍との戦線は膠着状態でしたが、ここで信長が明智光秀の謀反によって本能寺で死亡しました。
秀吉は信長の死を隠して急ぎ毛利氏と和解。中国大返しで撤退していきました。
撤退した翌日に事実を知った元春は、秀吉を追撃しようとしましたが隆景に止められます。
以降、毛利氏は秀吉の天下統一事業に手を貸します。
元春は九州平定に参戦しましたが、病のため途中で亡くなってしまいました。享年57歳でした。
基本ステータスについて
統率:94
武勇:94
知略:84
政務:63
主義:保守
そろってこれだけ高いのはすばらしいですね。
過去作で戦闘関係は80台ぐらいでしたが、「革新」以降に急に90台に上がりました。だんだん評価されてきた武将ですね。
戦法・特性について
(戦法)
剛の一矢:自部隊の攻撃上昇・体力回復。
(特性)
城乗:敵城への耐久ダメージ増加。
攻勢:自部隊の攻撃上昇。
牢固:自部隊の防御上昇。
「攻勢」「牢固」がそろっていますので、ただでさえ高い戦闘パラメータをさらに引き上げてくれます。
さらに「城乗」もあるため、攻城にも強いという完璧な布陣ですね。
総評
吉川元春は戦闘に長けた猛将です。
統率・武勇は94あり、「攻勢」「牢固」「城乗」といった戦闘能力を底上げするスキルもそなえています。
ゲーム中でもトップレベルの強さなので、戦場でどんどん活躍させるのがいいでしょう。
次回は小早川隆景です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。