『信長の野望・新生』武将能力:六角定頼の評価は?【武将評価シリーズ・その105】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第105回目は、楽市楽座の創始者である六角定頼(ろっかくさだより)です。
その信長よりも先にやっていますね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の十河一存は以下のリンクから。
人物について
六角定頼は明応4年(1495年)、六角高頼の次男として生まれました。
家督争いを避けるため仏門に入りましたが、兄の六角氏綱が細川氏との戦いで負傷し、それが原因で亡くなったことから還俗して跡継ぎとなります。
細川氏の家督争いに乗じて細川高国を味方し、政界に大きな権力を持つようになりました。
しかしそののち、細川晴元が挙兵して細川高国に勝利。細川高国は足利義晴とともに逃走しました。
細川晴元は足利義晴の弟・足利義維を擁立し、室町幕府に代わる「堺公方府」を開きます。
定頼は足利義晴を擁護していましたが、その一方で細川晴元とも通じていました。
やがて細川晴元は足利義晴と和睦し、定頼とも政略結婚などで強く結びつきます。こうして将軍家や細川家に大きな影響力を持つようになりました。
定頼の名を天下に知らしめたのは、やはりその政治手腕です。
天文18年(1549年)、定頼は居城である観音寺城で楽市令を出しています。信長はこれを参考にして楽市楽座を取り入れました。
また家臣団を観音寺城に集めるため、城割をおこないました。部下の反乱を防ぐことが目的で、のちの一国一城制につながります。
天文21年(1552年)に死去。享年58歳だったといいます。あとを継いだのは六角義賢です。
基本ステータスについて
統率:84
武勇:61
知略:76
政務:96
主義:中道
細川氏の代わりに一揆の鎮圧などをしていたこともあり、統率も84とそこそこ高いですね。
軍事・政務の両面にて活躍できるでしょう。
戦法・特性について
(戦法)
足止:敵部隊の機動低下。
(特性)
能弁:外交取次時の信用上昇量増加。
自衛:自勢力内では自部隊の防御上昇。
作事:城下施設の建設効率上昇。
「能弁」「作事」持ちですね。
戦闘スキルは「足止」「自衛」と防御系のものがそろっています。
総評
六角定頼はすぐれた政務能力を持つ武将です。
政務は96あり、統率も84と戦闘でも活躍していけます。
スキルには「能弁」「作事」もあるので、全方面で力を発揮できるでしょう。
次回は津軽為信です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。