『三國志14』武将能力:張魯の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その67】|三国志14

2020年6月4日三国志武将能力評価三国志, 三國志, 三國志14武将評価シリーズ

chouro

『三國志14』三国志武将評価シリーズの第67回目は、五斗米道の指導者である張魯(ちょうろ)についてお届けします。前回の龐徳は以下のリンクから。

人物について

張魯、字は公祺(こうき)。沛国・豊県の人です。

祖父は張陵といい、道教集団「五斗米道」の開祖です。前漢の功臣・張良の子孫ともいわれています。中国では「張道陵」という呼び方のほうが知られていますね。

「五斗米道」の名は、道術を学ぶ弟子たちから五斗の米を受け取っていたことに由来します。「米賊」とも呼ばれていました。また張陵が太上老君から「天師」の位を授かったことから「天師教」ともいいます。

ちなみに現在、中国の「正一教」という道教の宗派は、五斗米道がその起源といわれています。

いまでも残ってるのニャ。

五斗米道の二代目指導者であった父・張衡が亡くなると、張魯は三代目としてあとを継ぎます。

張魯の母は巫術を使い、いつも若々しい容姿で、益州の劉焉に取り入っていました。

張魯は劉焉から督義司馬に任命され、張脩とともに漢中太守・蘇固を討つよう命じられました。任務を達成したのち、張魯は張脩を殺害。兵を奪って五斗米道の地盤を漢中で築き上げます。

国家のようなものなのニャ。

劉焉が亡くなり、子の劉璋の代になると、張魯が従わないとの理由で、張魯の母と家族を殺してしまいます。

一方、漢中の張魯は独立勢力となっており、みずからを「師君」と称しました。また教団に入ったばかりの者は「鬼卒」、本格的に道術を授けられた者は「祭酒」と呼ばれ、下につく信者がとくに多い祭酒は「治頭大祭酒」と称されました。

国はうまく治まっていたのかニャ?

細かい役職などは置かずに、祭主が取り仕切っていたので、「そのほうがわかりやすい」とのことで民には好評でした。

また規則違反は3度まで許され、それ以降に刑罰を受けるというものです。軽微な罪は道路を百歩の距離修復すれば許されました。

それだと治安が悪くならないのかニャ?

張魯は信者たちに、「正直であれ。人をだますことなかれ」と教えており、病気にかかると罪を告白させました。また義舎(駅舎のようなもの)を建て、米や肉をぶらさげておき、旅人に必要な量だけ無料で食べさせていました。

刑罰も厳しくなく、善政を敷いていたことから、張魯は民から慕われていました。漢中に身を寄せている流浪者も、張魯に服従しないものはいませんでした。とくに問題もなく長年の統治がおこなわれていたようですね。

思ったよりまともなのニャ。

ある日のこと、民が地中から玉印を掘り出し、張魯に献上しました。部下たちは張魯に、「漢寧王」を名乗ることを望みます。

しかし閻圃(えんほは、「王を名乗らずとも、主君は十分な勢力を保っております」といい、下手に曹操や朝廷を刺激しないよう忠告します。張魯はこれに従いました。

馬超・龐徳が反乱を起こして曹操に敗れたのち、彼らは張魯のもとに身を寄せました。馬超は蜀の劉備のもとへ向かいましたが、龐徳は張魯のもとに留まったのは前回述べたとおりです。

張魯のもとにいたほうが居心地がよかったのかもしれないニャ。

しかし平和はいつまでも続きませんでした。やがて曹操が漢中へ攻めてきます。

張魯はいくさを嫌い、降伏しようとしました。

しかし弟の張衛は徹底抗戦を主張。数万の兵を率いて曹操と戦います。結果、曹操に敗れてしまいました。

さすがにいくさ慣れしている曹操には勝てないニャ。

張魯は当初の予定どおり降伏しようとしますが、閻圃は、

「降伏するにしても、追い詰められた状態で降伏すれば、相手はこちらを軽く見ます。抵抗したあとで降伏すれば、相手はこちらを重く見ます」

と助言します。そこで張魯は巴中へ逃亡することにしました。

閻圃は張魯の良い参謀ニャ。

部下の者たちは、財物の入った蔵をすべて焼き払う予定でした。しかし張魯は、「それは国のためのものだ」といい、蔵に封をしてから逃げました。城に入った曹操は、張魯のおこないに感心し、使者を送って降伏の説得に当たります。

張魯は家族とともに、曹操のもとに出頭しました。龐徳もこのとき、ともに曹操に降伏しています。

曹操はみずから張魯を出迎え、賓客の礼をもって対応しました。さらには閬中侯に封じ、一万戸をあたえたのです。張魯の5人の息子と閻圃も、全員列侯にとりたてられました。

気前良すぎるニャ。

曹操のことですから、張魯を厚遇すれば、その信者たちも全員味方になるという算段だったのかもしれませんね。逆に下手なあつかいをすれば、漢中あたりの治安が悪化する可能性もありますし。

そう考えれば合理的な行動ニャ。

今回はそんな張魯の能力を見ていきましょう。

 

基本ステータスについて

統率:51
武力:26
知力:73
政治:78
魅力:89
主義:割拠
政策:本草学(Lv5)(武将の傷病の回復率が上昇)
嫌悪武将:劉璋

さすがに魅力は高めニャ。

魅力は『三國志6』では95ありましたね。

本作では文官的なパラメータになっています。1のころは武力71ありましたけど、そこからどんどん下がっていきましたね。

いまでは武力26ニャ。

戦場に出るような人物でもありませんしね。

 

個性について

節約:自ユニットの兵糧消費が減少。

医術:所在都市に所属していると、負傷兵、傷病武将の回復量が増加。

農政:地域担当官に任命すると兵糧が上昇しやすい。

米道:所在都市に所属していると、収入時に決まった額の兵糧を追加獲得。

寡欲:自身の俸禄が減少。

内政系の個性がてんこ盛りニャ。

医術」「農政」「米道」がありますので、地域担当官にしておくとメリットが多いですね。

寡欲」があるので、部下にしたときも俸禄が少なくてすみます。

寡欲でも給料はちゃんと払うべきニャ。

 

陣形と戦法

陣形

方円、鶴翼

戦う気はあまりなさそうニャ。

戦場に出す必要もないかと。

戦法

激励:味方の士気+攻軍アップ。対拠点可。

鼓舞:味方の士気アップ。対拠点可。

治療:負傷兵回復。対拠点可。

見事にサポート戦法ばかりニャ。

戦場に出す必要も(以下略)。

 

総評

張魯は文官タイプのステータスを持った武将です。

負傷兵回復量を増加させる「医術」、兵糧上昇の「農政」、追加の兵糧がもらえる「米道」がありますので、地域担当官として力を発揮することでしょう。とくに兵糧不足に陥りやすいゲーム前半では有効なスキルです。

寡欲」もありますので、部下としてもお得な武将です。

地域担当官向きの文官ニャ。

次回は陳宮を予定しています。

↓次回出来ました。