『三國志14』武将能力:諸葛瞻の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その94】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第94回目は、蜀の丞相である諸葛亮の子・諸葛瞻(しょかつせん)についてお届けします。前回の諸葛恪は以下のリンクから。
人物について
諸葛瞻、字は思遠(しえん)。子に諸葛尚、諸葛京がいます。
「せん」ですね。仰ぎ見ることです。「羨望(せんぼう)のまなざし」の「羨望」は「瞻望(せんぼう)」とも書きます。
そうですね。「瞻望咨嗟(せんぼうしさ)」という言葉もありますが、「うらやましく思って、ため息をつく(咨嗟)」という意味です。中国で名前に「瞻」の文字のある方はそこそこいますね。
「瞻は8歳で利発的な子ですが、早熟で大人物にならないのではないかと心配です」
と書いていました。
じつをいえば、諸葛亮はまだ子がなかったときに、諸葛瑾の次男・諸葛喬(しょかつきょう)を引き取って、跡継ぎにしています。
普通に諸葛瑾が孫権から許可をもらって、蜀に送り出しています。
養子となった諸葛喬は蜀に仕えましたが、25歳で没してしまいました。
諸葛喬のあとは、その子の諸葛攀(しょかつはん)が継ぎました。
しかし諸葛亮には諸葛瞻が生まれていたことと、呉では諸葛恪が一族もろとも殺されてしまっていたため、諸葛攀は呉にもどって諸葛恪のあとを継ぎました。
そのとおりで、諸葛恪を殺した孫峻の一派に、病死と見せかけて殺されてしまいます。孫峻としては、諸葛恪の一族は徹底的に根絶やしにしておきたかったのでしょう。
ところが、諸葛攀は自分の子・諸葛顕(しょかつけん)を蜀に残しておきました。殺される危険があったのをわかっていたうえでの保険なのでしょうね。諸葛顕は蜀滅亡後も生き残ったといいます。
諸葛亮の実の子・諸葛瞻のほうですが、17歳のときに劉禅の娘を妻とし、騎都尉に任命されます。のちに、董厥(とうけつ)とともに平尚書事となりました。
諸葛瞻は書画が得意で、記憶力もよかったため、蜀の人たちはその才能を愛していました。諸葛瞻がいいだしたことでなくても、なぜか「諸葛瞻がいったことだ」と噂になったため、実力以上に評判がよかったといいます。
そのネタはいろいろと危険なのでやめておきましょう。
魏の鄧艾が攻めてきたときに、諸葛瞻は黄権の子・黄崇(こうすう)とともに涪で守りにつきます。黄崇は「出陣して、要害で敵を迎え撃つべき」と諸葛瞻に進言しますが、聞き入れてもらえませんでした。
やがて鄧艾の軍がせまってくると、諸葛瞻は綿竹まで退却します。鄧艾は使者を送って降伏を促しましたが、諸葛瞻は怒って使者を斬ってしまいます。
こうして決戦をすることになり、諸葛瞻は大敗。子の諸葛尚とともに戦死してしまいました。
蜀が滅亡したころはまだ幼く、のちに晋に仕えて郿県の令になりました。
現在、中国の浙江省にある諸葛亮の子孫の住む村「諸葛八卦村」の人たちは、諸葛京の子孫ともされています。村は中国の全国重点文物保護単位にも指定されていますね。
今回はそんな諸葛瞻の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
統率:69
武力:57
知力:72
政治:68
魅力:69
主義:王道
政策:墨守研究(Lv3)(都市があたえる反撃ダメージが増加)
父親:諸葛亮
母親:黄月英
親愛武将:董厥
諸葛恪と違って、結果を出せていませんしね。シリーズでの知力は60~70台ですし、72もあればむしろじゅうぶんなような気もします。
正史では不明ですが、「三国演義」だとそういう設定になっていますね。
個性について
石兵:石兵八陣が建設可能。
文化:地域担当官に任命すると人口が上昇しやすい。
優柔:自ユニットが「足止」になったさい、その期間を延長。
「石兵」は建設コストが高いのが難点ですね。
「文化」があるので地域担当官にしておくといいでしょう。
陣形と戦法
雁行、方円、井闌
「井闌」持ちなので、都市攻めに加えるのもいいかと思います。
連弩:ダメージ+「足止」付与。対拠点可。
混乱:「混乱」付与。対拠点可。
井闌:ダメージ。対拠点可。
「井闌」があるので、兵器で運用していきたいところです。
総評
諸葛瞻は父・諸葛亮に比べれば、能力不足は否めません。統率・武力も高くなく、その他大勢の武将といったところです。
「文化」があるので、地域担当官にしておくのがいいでしょう。
また戦場では「井闌」で都市攻めをサポートするのがいいかと思います。
次回は諸葛亮の妻である黄月英を予定しています。
また以前おこなった「関羽と子孫たちの能力比較」とおなじように、『三國志14』に登場する諸葛一族の能力を比較する「諸葛亮と子孫・一族の能力比較」も予定しています。
↓次回出来ました。
↓「諸葛亮と子孫・一族の能力比較」出来ました。