『信長の野望・新生』武将能力:明智光秀の評価は?【武将評価シリーズ・その8】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第8回目は、織田信長を本能寺で滅ぼした明智光秀です。
近年は再評価されてきていますね。
それでは能力を見ていきましょう。前回の真田幸村は以下のリンクから。
人物について
明智光秀の生涯は謎が多いです。
通説では、出自は美濃といわれており、父は斎藤道三に仕えていた明智城主・明智光綱とされています。
また光秀の叔母と斎藤道三の娘が濃姫とされていることから、光秀と濃姫がいとこどうしといわれています。
弘治2年(1556年)、斎藤道三と、その長男である斎藤義龍が内紛をはじめ、明智城を奪われてしまいます。
光秀は流浪の身となり、一族のつてで足利義輝のもとに身を寄せます。
しかし足利義輝は、三好長慶の重臣である三好三人衆(三好長逸、三好宗渭、岩成友通)らによって自殺に追い込まれ、光秀はふたたび流浪の身となり、今度は朝倉義景に仕えました。
そののち、足利義輝の義弟・足利義昭が朝倉義景に後ろ盾を求めると、光秀は足利義昭の側近・細川藤孝とともに、将軍家再興の手助けをします。
足利義昭は織田信長にも協力を求め、このときの使者として光秀が選ばれました。このことから光秀は織田家にも仕えることになります。
足利義昭は上洛を果たすも、本圀寺で三好三人衆の襲撃にあいます。「本圀寺の変」と呼ばれるものですね。光秀はこの合戦で大功があったことから、京都奉行の職務を任されます。
元亀元年(1570年)には木下藤吉郎(豊臣秀吉)とともに、金ヶ崎で浅井・朝倉連合軍相手の敗戦でしんがりをつとめ、被害を最小限におさえました。「金ヶ崎の退き口」と呼ばれるものですね。
その後も、比叡山の焼き討ちや「長篠の戦い」「天王寺の戦い」など、数多くのいくさに参加していますね。
信長のもとで重臣となった光秀ですが、やがて歴史を揺るがす大事件「本能寺の変」が起こります。
天正10年(1582年)、光秀は京都の本能寺に宿泊していた信長を急襲し、自害に追い込みました。この理由についてはさまざまな説があり、現在でもあきらかにされていません。「秀吉が黒幕説」もありますね。
信長の死後、中国地方から大返ししてきた秀吉軍との「山崎の戦い」で敗れ、最期は落ち武者狩りに殺されたともいわれています。
本当にいろいろな説があるのですが、室町幕府の再興を目指していたのではないかという説が有力とされています。
基本ステータスについて
統率:96
武勇:84
知略:93
政務:97
主義:革新
パラメータは信長型ですが、ちょっとずつ数字が低くなっていますね。
ただ過去作と比べると、統率はかなり評価が上がっています。「天下創世」あたりは、統率は60台でしたしね。
全体的にはオールマイティキャラになっています。
戦法・特性について
(戦法)
時は今:敵部隊の防御低下、自部隊の攻撃上昇。
(特性)
連歌百韻:城下施設・政策・具申などの時間短縮。全具申が可能。
能弁:外交取次時の信用上昇量増加。
砲術:自部隊の鉄砲LVが上昇。
そうですね。「連歌百韻」は内政のスピードアップ、「能弁」は外交の信用増加アップになります。光秀は細川藤孝に伴われ、格式の高い連歌会にたびたび参加していました。連歌界の大物・明智玄宣の曾孫ともいわれています。文化人どうしのつながりがあるので、外交も有利に運ぶことができたのでしょう。
内政でもつかっていけるので、全方向に便利な武将といえるでしょう。
総評
光秀はパラメータも高く、戦闘・内政・外交と、さまざまな場面で活躍してくれるでしょう。
特性の「連歌百韻」は内政スピードを速め、「能弁」は外交の信用増加アップになります。
織田家内だと、秀吉と能力での双璧といった立ち位置ですね。秀吉とともに信長を盛り立てていきましょう。
次回は伊達政宗です。【追記】次回出来ました。下記のリンクから。