『信長の野望・新生』武将能力:前田慶次の評価は?【武将評価シリーズ・その17】

2023年2月13日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

keiji maeda

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第17回目は、「傾奇者」として名を知られた前田慶次(まえだけいじ)です。

漫画「花の慶次」で有名になったのニャ。

現在の知名度はほぼ漫画の影響ですね。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の斎藤道三は以下のリンクから。

 

人物について

前田慶次の現在の人物像は、漫画「花の慶次」(とその原作小説「一夢庵風流記」)がつくりあげたといっても過言ではありません。

そもそも漫画になっていなかったら、ほとんどの人が知らずに終わった武将でしょう。

基本的にはマイナー武将なのニャ。

「慶次」という名も複数ある通称のうちのひとつでしかなく、諱も「利益(とします)」や「利貞(としさだ)」「利興(としおき)」などさまざまで確定していません。

父親も誰だかわからないのですが、滝川一益の一族といわれています。

前田利久には子がいなかったため、家督を継ぐときに弟・前田安勝の娘を養女にし、その婿として慶次を迎え入れて養子としました。

永禄10年(1567年)、前田利久は病を理由に、織田信長の命を受けて、家督を弟の前田利家にゆずりました。前田利久は慶次とともに荒子城を去ります。

天正10年(1582年)、「本能寺の変」が起こる前年に、前田利久は慶次とともに、前田利家を頼ってその家臣となりました。

天正12年(1584年)、「小牧・長久手の戦い」では、佐々成政による攻撃を受けた末森城の救出に参戦するなど、いくさにも加わっています。

しかし天正18年(1590年)以降は、前田家から出奔し、京都へ向かいました。一説では前田利家と不仲になり、利家をだまして水風呂に入れ、そのあいだに愛馬・松風にまたがって京都へ逃げたといいます。

漫画でも、前田利家と仲が悪かったニャ。

慶次は京都で浪人として暮らし、文化人と交流をしていました。連歌会にもたびたび出席しています。

関ヶ原の戦い」の前ごろには、上杉景勝に仕えました。直江兼続と親交があったことが理由ともいわれています。

「関ヶ原の戦い」では上杉軍の一員として、西軍として参戦しました。

しかし西軍は敗れ、直江兼続は自害しようとします。慶次はそれを止め、しんがりとなって伊達政宗最上義光らの追撃を防ぎました。

「関ヶ原の戦い」後は、講和のために京都へ向かいます。上杉景勝は会津120万石から米沢30万石へ減封され、家臣も離れていきましたが、慶次は「主は上杉景勝ただひとり」といって、他の大名に仕えることはありませんでした。

上杉景勝は米沢へ移動しました。このとき慶次は会津にとどまり、そこで生涯を終えたとも、上杉景勝とともに米沢へ移ったともされています。

晩年については不明なことが多いのニャ。

 

基本ステータスについて

統率:64
武勇:93
知略:71
政務:33
主義:革新

漫画の影響か、武力は高いのニャ。

90越えですので、武将の中でも上位の部類ですね。

「信長の野望」シリーズで初登場したのは『風雲録』からです。そのときの戦闘(武勇)は90でしたね。

次の『覇王伝』になると戦闘は100になり、上杉謙信と並びます。

さすがにそれはやりすぎなのニャ。そこまで活躍した人物でもないニャ。

ただ他のパラメータは、采配50、智謀1みたいな極端な感じでしたね。

ただシリーズ通して武勇は高めに設定されているため、戦闘では役に立つ武将になっています。

本作は知略も70台と、過去作に比べてかなり能力は高くなっていますね。

 

戦法・特性について

(戦法)
急襲:敵部隊の兵力減少。

(特性)
攻勢:自部隊の攻撃上昇。

堅固:自部隊の防御上昇。

数寄:家宝をまれに入手。

汎用能力ばっかりニャ。「傾奇者」みたいな戦法つけてもよかったのニャ。

ただ地味に「攻勢」「堅固」で攻撃・防御をバフできますので、戦闘能力は高めとは思います。

 

総評

前田慶次は武勇93と、武将の中でも上位の能力を持っています。

また「攻勢」「堅固」といったバフ能力もあるので、戦闘で役立てていくのがよいでしょう。

家宝を入手できる「数寄」は、運次第としかいいようがないですね。

ちょっとキャラの特徴が足りない感じがあるニャ。

次回は北条氏康です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。