『信長の野望・新生』武将能力:陶晴賢の評価は?【武将評価シリーズ・その51】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第51回目は、大友家を乗っ取った陶晴賢(すえはるかた)です。
過去作だと普通におっさん顔でしたけどね。美男子という説があるのでイケメングラフィックになったのでしょう。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の小早川隆景は以下のリンクから。
人物について
陶晴賢は大永元年(1521年)、陶興房の次男として生まれました。
主君の大内義隆に寵童として仕え、一字をもらって隆房(たかふさ)と名乗っていました。
天文9年(1540年)、尼子晴久が吉田郡山城を攻めると、陶晴賢は総大将として尼子軍を撃退します。
しかしその後の月山富田城攻めでは大敗。大内義隆はいくさへの興味を失い、陶晴賢ら武断派を遠ざけ、文治派の相良武任を重用するようになります。大内義隆と陶晴賢の仲は急速に冷えていきました。
天文19年(1550年)、大友宗麟が家督を継ぎました。陶晴賢は大内義隆を討ち、宗麟の異母弟であり大内義隆の甥でもある晴英(義長)に大内氏の家督を継がせるくわだてをします。
翌年、陶晴賢は武断派と共謀して挙兵します。長門大寧寺において、大内義隆を自害に追い込みました。こうして宗麟の弟・晴英(のちの大内義長)が、大友氏の家督を継ぐこととなったのです。
そして晴英から一字をもらって、陶晴賢は「隆房」から「晴賢」とあらためました。
しかし大内氏の中では陶晴賢のやり方に異を唱える者も多く、天文23年(1554年)には三本松城主の吉見正頼が反乱を起こします。
さらにこれを機にと、毛利元就も大内氏の支配から独立し、各地の城を攻略していきました。
やがて陶晴賢と毛利元就の「厳島の戦い」がはじまります。
兵力で圧倒的に不利だった元就は、大内の大軍を厳島に誘い込み、陸路と水路で挟み撃ちして勝利。陶晴賢は自害しました。享年35歳でした。
基本ステータスについて
統率:85
武勇:85
知略:79
政務:67
主義:中道
統率・武勇・智勇と、バランスのとれた高パラメータですね。
過去作だと武勇は80台でしたが、それ以外は70台以下みたいな感じでしたので、シリーズが進むにつれて能力が上がっている感じです。
戦法・特性について
(戦法)
激励:自部隊の攻撃上昇。
(特性)
用兵:敵部隊を挟撃中、自部隊の攻撃上昇。
策謀:特殊な調略具申が可能。
馬術:自部隊の騎馬LV上昇。
「用兵」「策謀」は多くの軍師的な武将が持っているスキルですね。知略系武将を印象付ける形になっています。
総評
陶晴賢はバランスの取れたパラメータを持つ武将です。
統率・武勇は85あり、知略も79あります。野戦・攻城戦と活躍していけるでしょう。
また「策謀」といった軍師スキルもあるのでうまくつかっていきましょう。
次回は大内義隆です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。