『信長の野望・新生PK』武将能力:片桐且元の評価は?【武将評価シリーズ・その135】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第135回目は、賤ヶ岳7本槍の一人で、豊臣家存続に奔走した片桐且元(かたぎりかつもと)です。
豊臣家と徳川家の板挟みになっていろいろ苦労していましたしね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の以心崇伝は以下のリンクから。
人物について
片桐且元は弘治2年(1556年)、片桐直貞の長男として生まれました。
当初は親子ともども浅井氏に仕えていましたが、織田信長の侵攻によって浅井長政が自害したのちには、秀吉に仕えることとなります。
信長亡きあと、且元は秀吉の天下事業を支えました。柴田勝家との「賤ヶ岳の戦い」で活躍し、賤ヶ岳の七本槍の一人となっています。これによって摂津国内に3千石をあたえられました。
秀吉が亡くなり、「関ヶ原の戦い」がはじまると、当初は石田三成側についていました。
しかし西軍が敗れると、長女・采女を人質として徳川家康に差し出します。大阪城まで家康を案内し、豊臣家との調整役となりました。
やがて、前回でも紹介した方広寺の鐘銘事件が発生します。「国家安康」「君臣豊楽」と記されていたことを、「家と康を分け、臣と豊を近づける」と以心崇伝に難癖つけられ、その弁明に奔走することとなりました。
ここで家康側からの提案として、「豊臣秀頼の駿府と江戸への参勤」「淀殿を人質とする」「豊臣秀頼が大坂城を出る」といった条件を持ち出されます。
且元は持ち帰って協議したものの、豊臣側からは家康との内通を疑われてしまいました。最終的には大阪城を出ることとなります。
以降は家康側に協力するも、「大坂の陣」が終わって豊臣側が負けたときには、豊臣秀頼と淀殿の助命を申し出ました。しかしこれはかなわず、豊臣家は滅亡してしまいます。
そして「大坂の陣」から1か月も立たないうちに、病で亡くなりました。享年60歳といいます。
基本ステータスについて
統率:46
武勇:69
知略:46
政務:60
主義:中道
どちらかというと外交向きの人物ですしね。
過去作でもだいたいこんな感じのステータスになっていました。
戦法・特性について
(戦法)
用心:自部隊の防御上昇。
(特性)
能弁:外交取次時の信用上昇量増加。
乾坤:合戦で積極的に退き口を攻撃。
(家宰)
人足賦役:最大労力増加、最大兵力減少。
(奉公)
兵糧奉行:小荷駄隊配備の維持費削減。
外交キャラなので、外交方面でつかっていくといいでしょう。
総評
片桐且元は中堅の武将です。
武勇は69、統率・知略は46と、中の中といった感じのステータスです。
「能弁」があるので、外交にうまくつかっていくとよいでしょう。
次回は服部半蔵です。【追記】次回できました。以下のリンクから。