劉禅の人物・武将能力・評価は?『三國志14』三国志武将評価シリーズ・その48|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第48回目は、劉備のあとを継いで蜀の天子となった「阿斗」こと劉禅(りゅうぜん)についてお届けします。前回の周泰は以下のリンクから。
人物について
劉禅、字は公嗣(こうし)。
劉備が荊州の劉表のもとに身を寄せていたころ、甘夫人の子として生まれました。
「三国演義」では、甘夫人が懐妊したときに北斗七星を飲む夢を見たことから、「阿斗」という幼名が付けられたといいます。
甘夫人は身分が低く、劉備の側室という立場でした。しかし劉備が何度も正室を失ったことから、甘夫人が奥向きのことを取り仕切っていました。
やがて曹操が荊州に攻めてくると、劉備は妻子を置いて逃げてしまいました。
ここで活躍したのが趙雲です。趙雲は甘夫人と劉禅を保護したので、二人の命は助かりました。「三国演義」では、趙雲が敵の中をただ一騎で駆け抜け、劉禅を救い出しています。
劉備が夷陵の戦いで陸遜に敗れ、白帝城で亡くなると、劉禅はわずか十七歳で蜀の天子(皇帝)として即位します。
劉禅は妻である張飛の娘・張氏を、皇后に取り立てました。
諸葛亮がいたころは、政治は諸葛亮が取り仕切っていたのでまだよかったのですが、問題はその死後です。
諸葛亮亡き後、国事は蒋琬が取り仕切ることになりました。
「魏略」によれば、蒋琬が亡くなったのち、劉禅みずからが国事を取り仕切るようになります。
軍事の中心となっていた姜維ですが、諸葛亮のあとを継いで北伐ばかりおこなっており、内政には目を向けていませんでした。
朝廷では宦官の黄皓が権力を持ち、政治の腐敗がひどくなっていきます。
やがて鄧艾と鍾会が攻めてきて、蜀が占領されてしまうというのは、姜維の回で述べたとおりです。
魏に降伏した劉禅は、家族とともに洛陽に移りました。そして魏の天子・曹奐から安楽県公に封じられます。
司馬昭は劉禅のために宴会を催し、蜀の音楽を流しました。
それを聞いた蜀の者たちはみな涙を流しましたが、劉禅だけが機嫌よく笑い、飲み食いをしていました。
司馬昭はこれを見てあきれ、賈充にいいます。
「諸葛亮が生きていても、どうにもならなかっただろう。ましてや姜維ではなおさらだ」
他日、司馬昭は劉禅にたずねます。
「蜀のことを懐かしく思わないのですか?」
すると劉禅は答えます。
「この地は楽しいので、蜀を思い出すことはありません」
劉禅の部下の郤正(げきせい)はこれを聞き、
「つぎおなじことをたずねられたら、『一日として思い出さないことはありません』と涙して答えるのです」
と注意します。
またべつの機会に、司馬昭におなじことを聞かれたとき、劉禅は郤正のいうとおりにしました。
すると司馬昭はいいました。
「なんとまあ、郤正のいうとおりにやったものだ」
劉禅は驚き、「まさにそのとおりです」と答えると、まわりの者たちはみな笑いました。
とくに苦労もせずに天子になっていますし、二代目のドラ息子という感じですね。
諸葛亮といった優秀な臣下がいるときは、むしろよけいな口出しをしないぶん国政がよくまわっていたのですが、そうでなくなり黄皓のような者が出てくると混乱をきたすことになります。
劉禅は洛陽で余生を過ごし、とくに困難に見舞われることもなく亡くなりました。劉禅個人としては、安泰に一生が送れたともいえます。
今回はそんな劉禅の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
統率:3
武力:5
知力:9
政治:4
魅力:68
主義:割拠
政策:太学(Lv2)(配下武将の経験値獲得量が上昇)
父親:劉備
母親:甘氏
配偶者:張氏
親愛武将:黄皓、諸葛亮、趙雲、張氏、陳祗
とりあえずパラメータが低ければなんでもいいという感じですね。
ただシリーズ初期は2桁のパラメータを持っていました。それでも10~30台の範囲ですが。
姜維が北伐をしているときに、蜀の内政を取り仕切っていた人です。劉禅お気に入りの家臣でした。
個性について
強運:戦死せず、捕虜にならない。
消沈:特定範囲内の味方ユニットが壊滅すると、自ユニットの士気が低下。
優柔:自ユニットが「足止」になったばあい、その期間を延長。
そもそも戦場に出るような武将でもありませんからね。
陣形と戦法
方円
守備陣形の「方円」ですし、戦闘する気はないのでしょう。
なし。
言葉どおり、戦法は一つもありません。
総評
劉禅は、武将としてはかなり評価の低い人物です。
パラメータも低いですし、戦法もありませんし、ろくな個性もありません。
どこか空いている拠点にでも放り込んでおけばいいでしょう。
今回司馬昭の名が出ましたので、次回は司馬昭を予定しています。
↓次回出来ました。