『三國志14』武将能力:諸葛瑾の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その92】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第92回目は、諸葛亮の兄で呉を支えた知将・諸葛瑾(しょかつきん)についてお届けします。前回の郭汜は以下のリンクから。
人物について
諸葛瑾、字は子瑜(しゆ)。琅邪郡・陽都県の人です。
弟に諸葛亮・諸葛均、子に諸葛恪・諸葛喬・諸葛融がいます。魏の諸葛誕は遠い親戚ですね。
諸葛亮は蜀の丞相、諸葛恪は呉の大将軍、諸葛誕は魏の征東大将軍に任じられるなど、それぞれ高いポジションについていました。
「蜀は竜(諸葛亮)を、呉は虎(諸葛瑾)を、魏は狗(諸葛誕)を得たり」といわれていますね。
狗は「功狗(功ある者)」の意味ともされているので、悪い意味ではないかと思います。
諸葛一族ですが、祖先は諸県に住んでおり、もともとは「葛」姓でした。
陽都県に移住したときに、同姓の「葛」がいたために、「諸県から引っ越してきた葛」という意味で「諸葛」と呼んで区別したとのことです。
もうひとつ由来があり、祖先の葛嬰の功績を重んじて、前漢の孝武帝がその孫を諸県の侯に封じました。それから「諸葛」としたとのことです。
諸葛瑾は若いころ都に出て、「詩経」「書経」「左氏春秋」などの学問を修めます。母が死去したのち、継母にもよく尽くしました。諸葛亮が異母弟の可能性があるというのはここから来ています。
戦乱になると、諸葛瑾は江東へと移住します。
ちょうどそのころ、江東では孫策が死去し、孫権があとを継ぎました。
孫権の姉婿である弘咨が諸葛瑾の非凡さを評価し、孫権に推挙します。諸葛瑾は魯粛らとともに賓客として待遇されました。長吏となり、そののちに中司馬に転じます。
また孫権は、劉備との外交には諸葛瑾を用いていました。
それもあるとは思いますね。
ただ諸葛瑾は、公的な場で諸葛亮と顔を合わせることはありましたが、そのあとで私的に面会することはなかったといいます。
また孫権に「弟を呉に連れてこられないか」といわれると、「わたくしが呉を裏切らないのとおなじく、弟もまた劉備を裏切らないでしょう」と答えたといいます。
孫権は諸葛瑾をよく相談相手にしていました。というのも、諸葛瑾は強い言葉で諫めることはせず、すぐに受け入れられないばあいはしばらくべつの話題をしたり、たとえ話を用いたりして同意を求めていました。
孫権は呉郡太守の朱治に不満を持っていました。しかし、かつて孝廉に推挙してもらったという恩があったので、表立って批判することができませんでした。そのことでずっと内心悶々としていました。
諸葛瑾はこれを知り、孫権の前で朱治を批判する手紙を書きます。そののち、今度は朱治の立場から弁明の手紙を書きました。
これを見た孫権は喜び、「納得いった」と笑いました。人の仲を損ねずに解決したことを評価したのです。
そんな感じかもしれませんね。
孫権が校尉の殷模を処刑しようとしたことがあり、群臣たちが取りなしても、ますます腹を立てて聞き入れませんでした。
諸葛瑾だけがずっと黙っていたので、孫権は「なぜなにも申さぬ」とたずねました。
すると諸葛瑾は、
「わたくしや殷模は流浪の身でここへきて、ご恩にあずかって生活することができるようになりました。
それにもかかわらず、わたくしは殷模を正しく導くことができず、殷模は罪を犯してしまいました。
いまのわたくしは、申しあげる言葉もない立場にございます」
と答えました。
これを聞いて孫権は同情し、諸葛瑾に免じて殷模を許すことにしました。
諸葛瑾は諸葛亮の兄ということで内通を疑われやすかったのですが、孫権は、
「子瑜(諸葛瑾)がけっしてわたしを裏切らないように、わたしもけっして子瑜を裏切らぬ」
といって家臣たちを安心させました。
孫権が天子(皇帝)を称すると、諸葛瑾は大将軍・左都護に任じられました。
諸葛瑾には諸葛恪という息子がおり、孫権はその才能を買っていました。しかし諸葛瑾は「息子は一族の安全を保っていけない」とつねに心配していました。
諸葛瑾は六十八歳で亡くなりましたが、その遺言では「普段着のまま白木の棺桶に収め、葬儀を簡単にすること」と命じていました。
諸葛瑾は、才能では諸葛亮におよびませんでしたが、徳のある行動は多くの者たちが評価していました。
今回はそんな諸葛瑾の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
統率:75
武力:34
知力:81
政治:89
魅力:90
主義:割拠
政策:地勢研究(Lv5)(落穴、投石台、弓櫓によるダメージが増加)
親愛武将:厳畯、孫権、張承、歩隲、魯粛
戦場でもそこそこ戦えますし、内政にも強いですね。
ちなみに1のころは知力94ありました。『三國志5』までは知力90台を保っていましたが、それ以降からは70~80台に落ちてしまいましたね。
厳畯は諸葛瑾や歩隲とおなじく、徐州から移住してきた者ですね。同郷であったことから仲が良かったようです。魯粛の死後、陸口への駐屯を命じられましたが、軍事の才がないとみずから辞任し、代わりに呂蒙が起用されました。
ちなみに張承は張昭の長男で、諸葛瑾のグループとは仲が良かったといいます。のちに諸葛瑾の娘を妻にしています。
個性について
節約:自ユニットの兵糧消費が減少。
慎重:敵勢力の罠から受ける被害が減少。
論客:外交で優遇。
人脈:登用・探索にかかる日数が短縮。
寡欲:自身の俸禄が減少
「節約」があるので、土地塗りつぶしのために出陣させてもいいですね。
「人脈」もあるため、人材登用や探索でも活躍させていくことができます。
陣形と戦法
魚鱗、雁行、方円
兵器がないのが残念ですが、前述のように土地塗りつぶしで出陣させるのもいいかと。
連弩:ダメージ+「足止」付与。対拠点可。
治療:負傷兵回復。対拠点可。
鎮静:状態異常解消。
駆逐:ダメージ。
矢嵐:ダメージ。
呉の将らしく艦船用戦法が2つあるでの、水上戦に参加させるのもいいかと思います。
総評
諸葛瑾は内政や人材登用、外交に優れた武将です。
外交が有利になる「論客」、登用・探索時間を短縮する「人脈」があるので、有効に利用していきましょう。
また兵糧節約の「節約」もあるので、土地塗りつぶし用のユニットとして出陣させてもいいとは思います。
次回は諸葛瑾の子、諸葛恪を予定しています。
↓次回出来ました。