『三國志14』武将能力:蔡邕の評価は?【三国志武将評価シリーズ・その169】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第169回目は、蔡琰の父で儒学者でもあった蔡邕(さいよう)についてお届けします。前回の顧雍は以下のリンクから。
人物について
蔡邕、字は伯喈(はくかい)。陳留郡・圉県の人です。
琴や学問に優れており、前回の顧雍の師でもありました。顧雍の「雍(よう)」の名は、蔡邕の「邕(よう)」を授けられたもの(音義がおなじ)だといいます。
蔡邕の鼓琴の腕は知れ渡り、桓帝のころ、宦官の徐璜(じょこう)が招聘しようとしましたが、蔡邕は病と称してこれを断りました。
建寧3年(170年)に橋玄から司徒府へ召し出され、議郎へ昇進します。
しかし蔡邕は宦官の専横を批判したことで、宦官の恨みを買ってしまい、一族ともども朔方郡に追放されてしまいました。
それから大赦を受けましたが、郷里でふたたび宦官の親族ともめて、揚州へと逃亡します。
董卓が朝廷の実権を掌握すると、蔡邕の高名を聞いて招聘しようとします。
蔡邕は病と称して断りましたが、董卓の怒りを買い、けっきょく洛陽へ行くこととなります。
董卓は蔡邕を重んじましたが、その献言を取り上げることはほとんどありませんでした。
蔡邕は董卓のもとを離れようと考えていましたが、弟子に相談したところ、
「あなたの容貌は一般の人とは異なるので、道行く人が注目します。どうして逃げられましょうか」
といったため、あきらめて董卓に仕えました。
董卓が王允・呂布らに誅殺されると、蔡邕は董卓の死を悼みました。
これを見た王允は、怒って蔡邕を処刑しようとします。
『三国演義』でもこの話は採用されましたが、裴松之は、「董卓の凶悪さは知れ渡っており、蔡邕がわざわざ王允のいる席でそのようなことをするものだろうか。この説はでたらめだ」と述べています。
「漢紀」では、「王允が蔡邕を処刑しようとしたとき、多くの名士たちが弁明したので後悔した。処刑を中止しようとしたが間に合わなかった」とあります。
享年61歳。蔡邕は生前にさまざまな文芸の書をしたため、それらは後世にも伝わっています。
またその文才は、娘の蔡琰にも引き継がれています。
蔡琰は曹操の命によって、蔡邕の蔵書400編余りを復元し、間違いは一文字もなかったといいます。
今回はそんな蔡邕の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
統率:22
武力:12
知力:86
政治:82
魅力:87
主義:礼教
政策:太学(Lv4)(配下武将の経験獲得量が上昇)
親愛武将:王粲、蔡琰、馬日磾、盧植
かわりに統率・武力は低く設定されていますね。いちおう董卓が王匡を討伐したときに従軍して功績を挙げていますので、まったく軍を指揮したことがないわけではありません。
シリーズでも能力のばらつきはけっこうあって、1だと魅力が15だったり、『三國志3』だと政治が71、『三國志4』になると政治64と、あまり安定していません。『三國志8』になると政治が92になってたりしますしね。
個性について
詩想:特定範囲内の敵ユニットを撃破すると、自ユニットを除く特定範囲内の味方ユニットの士気が上昇。
名声:地域担当官に任命すると土地占領が拡大。捕虜になったときの身代金が増加。
文化:地域担当官に任命すると人口が上昇しやすい。
史官:主義経験値の獲得量が増加。
学者:君主と自分の主義がおなじばあい、毎ターン主義経験値を獲得。
鼓琴の名手だったので「詩想」がありますね。使う機会があるかどうかはわかりませんが。
「学者」は君主の主義との一致が必要なので、勢力によっては使いづらい個性です。そのぶん「史官」があるので、これで補えばいいかと思います。
また「名声」「文化」といった地域担当官スキルもあるので、うまく使っていきましょう。
陣形と戦法
方円、井闌
「井闌」が使えるので、戦えないことはないですね。前回の顧雍とおなじ構成です。
治療:負傷兵回復。
鎮静:状態異常解消。
井闌:ダメージ。対拠点可。
顧雍とおなじように「井闌」を使うのがいいでしょう。
総評
蔡邕は文官タイプの武将です。知力・政治・魅力はすべて80台と、能力的にも高いほうです。
個性としては、主義経験値を上げる「史官」「学者」を持っています。君主次第ではどちらの効力も発揮されておいしいのですが、主義が噛み合うことが少ないかもしれません。「名声」「文化」もあるので、地域担当官としても利用していけるでしょう。
戦闘においては「井闌」があるので、都市攻めのサポートができるかと思います。
次回は娘の蔡琰を予定しています。