『三國志14』武将能力:陶謙の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その145】|三国志14

2020年6月8日三国志武将能力評価三国志, 三國志, 三國志14武将評価シリーズ

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『三國志14』三国志武将評価シリーズの第145回目は、劉備に徐州をゆずった陶謙(とうけん)についてお届けします。前回の孫尚香は以下のリンクから。

 

人物について

陶謙、字は恭祖(きょうそ)。揚州・丹陽郡の人です。

父親は余姚県の長でしたが、陶謙が幼いころに亡くなってしまいました。そののち、陶謙は誰の世話にもならなかったことから、県内で評判になっていました。

独立心の強い子どもだったのニャ。

しかし14歳のころになっても、まだ軍旗を作ったり、竹馬に乗ったりして遊んでおり、村の子どもたちの大将のような存在でした。

基本的には子どもなのニャ。

あるとき、蒼梧太守の甘公が馬車で外出したときに、そんな陶謙と出会いました。

甘公は陶謙の顔つきを見て面白いと思い、馬車を止めて語り合いました。甘公は陶謙を気に入り、娘を嫁にやると約束します。

ところが、甘公の夫人はこのことを知ると、

「陶家の息子は遊びほうけていると聞きます。なぜ娘を嫁にやるなどと約束したのですか」

と怒りました。

なんの相談もせずに婚姻を決めたら怒るに決まってるニャ。

これに対して甘公は、

「あの者は、人並み外れた容姿をしている。きっと大物になるだろう」

と答え、二人を結婚させたのです。

強引ニャ。

陶謙は剛直な性格で、学問を好み、太学に通っていました。茂才(秀才)に推挙され、盧県の県令に任じられています。

『呉書』においては、陶謙は若くして孝簾に選ばれ、尚書郎に任じられたとのことです。

そののち、叙県の県令になりましたが、汚職に手を染めることはなかったものの、他人の罪を追及することもありませんでした。

仕事してないニャ。

あるとき、係官が祭りの余剰金を着服すると、陶謙はそれを取り締まることなく、みずから官職を辞して去ってしまったといいます。

他人を裁くのが嫌いなのニャ。

やがて陶謙は、幽州の刺史に昇進します。

そののち、徐州で黄巾賊が乱を起こしたことから、その平定のために、陶謙は徐州の刺史に任じられました。

陶謙は黄巾賊を討ち破り、徐州を守り抜きました。

これで徐州を統治するようになったのニャ。

徐州は裕福な土地で、穀物も豊かだったことから、周辺から多くの民が身を寄せてきました。

しかし陶謙は、統治者としてはあまり有能ではなかったようで、忠義の者を疎んじ、邪悪な小人を任用するといった様子でした。

やがて徐州の法律は乱れ、善良な民が苦しむといった状況になります。

罪を裁かない性格が、ここで災いしてるニャ。

下邳郡の闕宣(けつせん)という者が勢力を持って天子を詐称すると、陶謙はこれを非難するどころか、手を組んで略奪を働くといった有様でした。

とんでもないやつニャ。

陶謙の略奪をおこなっているころ、曹操の父である曹嵩(そうすう)が、陶謙の領内で殺されました。

これ、陶謙が殺してる可能性もあるニャ。

なんにしろ、このことにより、曹操と陶謙はかたきどうしとなってしまいます。

初平四年(193年)、曹操は大軍を持って徐州への侵攻を始めました。

曹操は「父のかたき討ち」として、兵だけでなく何十万もの徐州の民を虐殺します。その遺体の多さに、泗水の流れが堰き止められたともいいます。

そうとう恨みに思ってたのニャ。

やがて曹操は兵糧不足のため、退却することとなります。

このときの戦いに、公孫瓚のもとから劉備が援軍に来ていたため、陶謙は劉備を引き留めました。そして豫州の刺史に推挙し、小沛の城と兵をあたえたのです。

これで劉備が徐州に住むことになったのニャ。

翌年、曹操がまたもや攻め込んできました。徐州の各県の次々と落とし、迎撃に向かった劉備も歯が立ちません。

このままでは徐州が取られてしまうといったところで、陳宮にそそのかされた張邈・張超の兄弟が、曹操の拠点である兗州で反乱を起こします。これには呂布も加わりました。

曹操は急いで軍を退き、呂布らに当たりました。

そしてこの年に、陶謙は病で亡くなってしまいます。享年63歳でした。

生きているうちに、徐州は取られずに済んだのニャ。

陶謙は「徐州を劉備に任せるよう」麋竺に遺言します。こうして劉備が徐州を治めることになったのです。

ここで麋竺の回の話とつながるのニャ。

今回はそんな陶謙の能力を見ていきましょう。

 

基本ステータスについて

統率:51
武力:33
知力:63
政治:64
魅力:77
主義:名利
政策:戸籍整備(Lv3)(募兵担当官による兵士の上昇量が増加)
親愛武将:
劉備

なんともいえないステータスニャ。微妙に文官タイプといったところニャ。

統率がぎりぎり50を超えていますが、基本的には文官タイプですね。

シリーズの1のころは武力が15とかなり低めでしたが、『三國志7』になると武力が72まで跳ね上がったりと、なかなか安定していません。武力を持たせたほうがいいのかどうかの迷いが見られます。

いちおう徐州の黄巾賊を撃退しているから、弱くはないと思うニャ。

そこで判断が分かれてる感じですね。

一方で、知力・政治・魅力はそれほど大きな変化はありませんね。

親愛武将が劉備のみというあたり、劉備へのプレッシャーは大きいニャ。

徐州を譲るぐらい気に入っていましたしね。

 

個性について

調達:輸送部隊を率いたさい、輸送できる量が増加。

動員:官職に加えて、指揮兵士が1000増加。

小心:命令設定で、敵接近時「攻撃」、自主退却「不可」、追撃「許可」が選択不可。

輸送部隊にしたほうが良さそうニャ。

とくにこれといった能力はありませんしね。

 

陣形と戦法

陣形

方円、鶴翼

とりあえず「鶴翼」で土地の塗りつぶしをするのがいいかと。

戦法

牽制:敵の攻城+破城ダウン。

業火:発火。対拠点可。

混乱:「混乱」付与。対拠点可。

守り向きなのかニャ。

戦法も微妙ですね。適当に寄せ集めた感じというか。状況に応じて使えばいいでしょう。

 

総評

陶謙はバランス型に近い、文官タイプの武将です。

ただ統率は50台、知力・政治は60台と、全体的な能力は高くありません。魅力が77あるのが利点といったところでしょうか。

個性では「調達」「動員」、戦法は「牽制」「業火」「混乱」と、いまひとつなにがやりたいのか見えてこない感じがあります。

輸送要員か、人手が足りないときのサポートにするとよさそうニャ。

次回は孔融を予定しています。【追記】次回出来ました。