『三國志14』武将能力:孔融の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その146】|三国志14

2020年6月7日三国志武将能力評価三国志, 三國志, 三國志14武将評価シリーズ

kouyuu

『三國志14』三国志武将評価シリーズの第146回目は、孔子20代目の子孫といわれる孔融(こうゆう)についてお届けします。前回の陶謙は以下のリンクから。

 

人物について

孔融、字は文挙。魯国・曲阜県の人です。曲阜は孔子の出身地でもあります。

ちなみに筆者は小学生のころ、修学旅行で孔廟や孔林(孔子やその一族の墓があるところ)に行きましたが、孔子の子孫と名乗る人がとくに何をするでもなく椅子に座っていたのがやけに印象的でした。

それ、見世物にされてるニャ。

べつに目立つところに座っているわけでもなくて、建物の横あたりに椅子を置いて座って、茶を飲んでいるだけといったよくわからない状況でした。

あとピラミッド状のちょっとした高さの墳墓かなにかがあって(うろ覚えですが)、表面がやけにツルツルしていて、それを「駆けあがって上までいけるかゲーム」みたいなのを友達と遊んでいましたね。囲いがあるわけでもなく、他の観光客も登っていました。

文化財のあつかいがひどいニャ。

そのころの文化財のあつかいは本当に適当な感じで、故宮で普通にサッカーしたりしてましたしね。円明園もボロボロのままでしたし。

いまはきちんと管理されてるニャ。

話を戻しまして、孔融は孔子の20代目の子孫といわれていた人物です。本人も学問好きで、若いころから多くの書物を読んでいました。

当時、河南尹で李膺(りよう)という名高い人物がいました。李膺は「優れた人物と祖先の代から付き合っているような者でなければ面会しない」と使用人たちにいいつけていました。

なんか偉そうニャ。

孔融はそのころ十歳余りでした。李膺がいったいどんな人物なのかを知りたかったので、その屋敷に行きました。

屋敷の門には門番がいました。孔融は、

「わたしは李君の先祖と親しい家柄の者です」

といいます。

それを聞いた李膺は、孔融を屋敷の中へ通し、他の者たちもいる中でたずねます。

「そちらの先祖と、わたしの先祖に付き合いがあったというのか?」

「そのとおりです。わたくしの先祖は孔子であり、あなたの先祖は李老君(老子)です。孔子は李老君の弟子でもあり、友人でもありました。となれば、わたくしの家とあなたの家は、親しい間柄といえるでしょう」

孔融の答えに、同席の者たちは「これは優れた子ども」だと感心しました。

一休さんみたいだニャ。

それから少し遅れて、太中大夫の陳煒(ちんい)という者がやってきました。

陳煒はさきほどの孔融の回答を皆から聞いたのち、

「人は小さいときに賢くても、大きくなって優れたものになるとはかぎらないぞ」

といいました。

こいつ、子ども相手におとなげないニャ。

すると孔融は、

「あなたは幼少のころ、さぞかし賢かったのでしょうね」

とやり返したといいます。

皮肉の利いた返しニャ。実際そうだったら、本人はメンタル的にきついニャ。

やがて孔融は大将軍の何進に召し出され、北海国の相にまで昇進しました。黄巾賊の乱で北海は荒廃していたので、城を修復し、学校をつくり、才能のある人物を推挙しました。

建安元年(196年)には朝廷に呼び出され、朝議ではいつも中心となって発言していました。

優れた人物だったのニャ。

ところが司馬彪の『九州春秋』によれば、孔融は北海にいたころ、自分は「稀代の賢人」だと自負していたとのことです。大きな野望を持っていて、郡を治めるだけの平凡な暮らしには満足できませんでした。

そして人を登用するにしても、風変わりな者たちばかりを採用していました。学問のある人たちには、見かけは敬意を払いますが、じっさいに政治を論じることはなかったといいます。

また法の管理も杜撰で、官吏が不正をおこなってもろくに取り締まらなかったといいます。

なんか前回の陶謙と同類に思えてきたニャ。

朝廷において孔融は、曹操を小馬鹿にするような発言が多かったことから、曹操に恨まれていました。

たとえば曹操が禁酒令を出せば、それに反対する孔融は、

「桀と紂は女色によって国を滅ぼしたのですから、婚姻も禁止してはどうでしょうか」

といいました。曹操は表立って孔融を非難することはなかったものの、内心良く思ってはいませんでした。

そして建安13年(208年)、孔融は孫権からの使者に対し、曹操を侮辱するような発言をしたことから罪に問われ、市場において処刑されてしまいました。このとき孔融の2人の子は8歳でしたが、連座して殺されてしまったといいます。

曹操は容赦ないニャ。しかし孔融も孔子のような聖人君子というわけではないのニャ。

今回はそんな孔融の能力を見ていきましょう。

 

基本ステータスについて

統率:30
武力:5
知力:72
政治:76
魅力:65
主義:礼教
政策:太学(Lv3)(配下武将の経験獲得量が上昇)
親愛武将:
韋康、王脩、虞翻、太史慈、楊脩、楊彪

たった武力5の文弱キャラニャ。

文官タイプのステータスですね。知力・政治は70以上あります。

それにしては、魅力は陶謙(魅力77)よりも低いニャ。

『三國志2』では魅力87あったのですが、50~70台と高くはありませんね。やはり「うわべだけの聖人君子」という評価なのかもしれません。

 

個性について

詩想:特定範囲内の敵ユニットを撃破すると、自ユニットを除く範囲内の味方ユニットの士気が上昇。

名声:地域担当官に任命すると土地占領が拡大。捕虜になったときの身代金が増加。

文化:地域担当官に任命すると人口が上昇しやすい。

人脈:登用、探索にかかる日数が短縮。

小心:命令設定で、敵接近時「攻撃」、自主退却「不可」、追撃「許可」が選択不可。

けっこういい個性がそろってるニャ。

名声」「文化」「人脈」と、内政が有利になる個性がそろっていますね。地域担当官にしておくのがよさそうです。

 

陣形と戦法

陣形

方円

戦う気がなさそうニャ。

名声があるので、地域担当官にしておくだけで領土拡大はできるでしょう。

戦法

大喝:敵の防御ダウン。

罵声:敵の士気+攻軍ダウン。対拠点可。

「大喝」とか「罵声」とか、なんかキャラに似合わない戦法ニャ。武力たったの5で大喝して誰か驚くのかニャ。

戦法だけは猛将ですね。

 

総評

孔融は文官タイプの武将で、能力的には中ぐらいといったところです。

孔子の子孫だけあって、「名声」「文化」「人脈」といった優れた個性がそろっています。内政に上手く活かしていきたいところです。

一方で統率・武力は低く、陣形は「方円」のみといった状態です。戦闘ユニットとしては厳しいものがあるでしょう。

文弱キャラだから内政を頑張るニャ。

次回は士燮を予定しています。【追記】次回出来ました。