『三國志14』武将能力:馬忠(蜀)の評価は?【三国志武将評価シリーズ・その193】|三国志14

2020年7月24日三国志武将能力評価三国志, 三國志, 三國志14武将評価シリーズ

bachuu

『三國志14』三国志武将評価シリーズの第193回目は、張嶷の上司で蜀の武将である馬忠ばちゅう)についてお届けします。前回の楊儀は以下のリンクから。

 

人物について

馬忠、字は徳信(とくしん)。巴西郡・閬中県の人です。

なにげに馬忠は2人いるのニャ。

もう一人は呉の馬忠ですね。関羽を捕らえたことから、蜀としてはかたきになります。

関羽のかたきと名前がおなじだと、蜀でいろいろ勘違いされてそうニャ。

そのあたりどうだったのでしょうね。

ちなみにもともとは母方の家で養われていたため、姓を狐、名を篤といいました。

そののちもとの馬姓に戻り、名前も忠に改めました。

もともとの名前のほうが区別しやすかったニャ。

建安の年末、孝廉に推挙され、漢昌の長となりました。

劉備が呉に攻め込んで敗れたとき、巴西太守の閻芝は5千の兵を集めて馬忠に率いさせ、援軍としておくりました。

永安に戻った劉備は、馬忠と言葉を交わしたのちに、尚書令の劉巴に、

黄権を失ったが、代わりに狐篤を得た」

といいました。

馬忠じゃなくて、狐篤のほうの名前で呼んでるのニャ。関羽のかたきの名前だから避けたのかニャ。

馬忠に名前を変える前だったからかもしれませんね。

諸葛亮が南中平定をおこなうと、馬忠は牂牁太守に任命されます。

朱褒が反乱を起こして鎮圧されましたが、馬忠はその後に住民を慈しむ統治をおこないました。

建興8年(230年)、馬忠は丞相参軍となり、長史・蒋琬の次官として、諸葛亮留守中の事務を取り仕切ります。

諸葛亮が祁山に出撃したさいには、そのもとへと向かい、軍の事務を担当しました。

帰還後は、張嶷らを率いて、反乱を起こした羌族を討伐します。ここからは張嶷とともに、異民族の平定に尽力していますね。

そして延煕12年(249年)に亡くなり、子の馬脩(ばしゅう)があとを継ぎました。馬脩の弟・馬恢の子の馬義は、晋のころに建寧太守になっています。

一族は晋のころにも残っていたのニャ。

馬忠は思いやりがあり、冗談をいいますが、怒りをあらわにすることはありませんでした。決断力もあり、威光と恩恵をともにそなえた人物でした。そのため、異民族は馬忠を恐れながらも敬愛していました。

馬忠が亡くなると、異民族らは涙し、廟を立てて祭ったといいます。

このあたりは張嶷とおなじなのニャ。

今回はそんな馬忠の能力を見ていきましょう。

 

基本ステータスについて

統率:78
武力:72
知力:68
政治:78
魅力:79
主義:割拠
政策:地勢研究(Lv3)(落穴、投石台、弓櫓によるダメージが増加)
親愛武将:張嶷

劣化張嶷といった感じのパラメータニャ。

政治・魅力に関しては馬忠のほうが高いので、劣化というほどでもありませんけどね。

シリーズ初期のころは政治が30台でしたが、統治能力が評価されたのかどんどん上がっていった形になっています。

 

個性について

森戦:森、密林で自ユニットの全能力が上昇。

召募:募兵担当官にすると兵士が上昇しやすい。

親蛮:所属都市に所在していると、南蛮が出現しない。「埋伏の毒」で南蛮が出現する。

ぶっちゃけ張嶷から「殿軍」と「改修」を抜いただけニャ。

そうですね。やっていることがだいたい似通っていますしね。

召募」「親蛮は即効性のあるスキルなので、上手く配置するといいかと思います。

 

陣形と戦法

陣形

魚鱗、長蛇、井闌

これも構成的には張嶷とおなじニャ。

「鶴翼」が「魚鱗」に、「投石」が「井闌」になっていますね。幅広い運用ができるでしょう。

戦法

斉射:ダメージ。対拠点可。

火矢:発火。対拠点可。

鯨波:味方の破城アップ+敵の攻軍ダウン。対拠点可。

井闌:ダメージ。対拠点可。

張嶷に比べると、対拠点戦法に偏ってるニャ。

都市攻めで活かしていきたいところです。

 

総評

馬忠は張嶷と似たバランス型の武将です。知力以外は、すべての能力が70台となっています。

個性派は張嶷より少ないですが、「召募」「親蛮があるのでうまく使っていきたいところです。

戦法は対拠点のものがそろっているので、状況に応じて使い分けるといいでしょう。

張嶷同様、潰しのきく武将ニャ。

次回は黄権です。