『信長の野望・新生』武将能力:伊達政宗の評価は?【武将評価シリーズ・その9】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第9回目は、「独眼竜」で知られる伊達政宗です。
あのゲーム、けっこう面白かったですね。けっこうプレミアついてますね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の明智光秀は以下のリンクから。
人物について
伊達政宗は伊達輝宗の嫡男で、母は最上義守の娘・義姫です。幼名を梵天丸といいました。
幼少期に天然痘にかかり、右目を失明してしまいました。ちなみに眼帯をつけている姿は後世の創作です。当時の史料で、眼帯をつけているものはありません。
眼帯姿は、1942年の映画『獨眼龍政宗』が最初といわれていますね。
ビジュアル的に、眼帯姿が定着してしまいましたね。
天正12年(1584年)、父・輝宗から家督を相続します。
しかしその翌年、父・輝宗が畠山義継に拉致されそうになったところを、政宗は父ごと畠山義継らを一人残らず射殺しました。
最初から父を殺す気で鉄砲を用意していたという説もありますね。
政宗はさらに、「敵討ち」と称して、畠山義継の息子・二本松義綱を攻め滅ぼします。
それから2年ほどで蘆名氏も滅ぼして、奥州平定を果たします。
しかし豊臣秀吉が大名たちに「惣無事令」(大名たちの私戦を禁じる令)を出していたことから、それを無視した政宗は罪を問われました。
そこで政宗は死装束を着て、秀吉に面会。秀吉は「もう少しでその首は落ちていたぞ」と告げ、政宗を許しました。
その後も、奥州で一揆が起こったとき、その扇動に政宗が絡んでいた罪を問われ、またもや死装束パフォーマンスで乗り切りました。今度は十字架の磔柱もついています。
秀吉の朝鮮出兵のときには、派手な衣装で京都に集合したことから「伊達者」という言葉が生まれたそうです。
ただ、「だて」という言葉は、もともと「男立て」や「忠義立て」などの「立て」(それらしく見せる)から来ており、べつに伊達政宗が語源なわけではありません。「だて」の当て字が「伊達」になったのでしょう。
関ヶ原の戦いにおいては、政宗は家康側につきました。しかし政宗は戦いに参戦せず、領土拡大にいそしんでいました。これがばれて、戦後の恩賞はほとんどもらえませんでした。
大坂夏の陣においては、敵の明石全登と交戦していた味方の神保相茂軍を、背後から撃って全滅させました。
そしてその理由は、「神保軍が崩れてこっちに向かってきたので、仕方なく撃った」というものでした。
「手柄をとるのに神保軍がじゃまだったので全滅させた」という説もあります。
政宗が参加したいくさはそれが最後で、晩年は仙台藩の開発に尽力し、コメの生産量を爆上げさせたといいます。享年70歳でした。
基本ステータスについて
統率:94
武勇:86
知略:87
政務:96
主義:革新
だいたい80~90台で能力の差が付けにくいところがありますね。けっきょくは戦法・特性で個性が決まる形になっています。
戦闘向きとはいえ、他に比べてちょっと知略が低めとは思います。ちなみに「革新」「天道」のころは90以上ありましたね。
戦法・特性について
(戦法)
独眼竜:敵部隊の兵力・防御低下。
(特性)
伊達の粋:自勢力より威信の高い勢力を攻めると能力上昇。
乾坤:外交取次時の信用上昇量増加。合戦で積極的に退き口を襲撃。
竜騎兵:自部隊の騎馬・鉄砲LVが上昇。
「伊達の粋」は自分より上の相手に対して能力上昇しますので、格上に対してジャイアントキリングを仕掛けられます。
ただ威信が高くなると、無用の長物にはなってしまいますね。
総評
パラメータも高く、とくに難点もないキャラとは思います。
最初の内は「伊達の粋」でバフを利かせつつ、戦っていくのがいいでしょう。
とりあえず奥州統一を楽しむプレイがいいとは思います。
次回は長宗我部元親です。【追記】次回出来ました。下のリンクから。