『三國志14』武将能力:鄧芝の評価は?【三国志武将評価シリーズ・その209】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第209回目は、蜀の外交の要であった鄧芝(とうし)についてお届けします。前回の宗預は以下のリンクから。
人物について
鄧芝、字は伯苗(はくびょう)。義陽(南陽)郡・新野県の人です。後漢の司徒・鄧禹の末裔といわれています。
劉備が蜀取りをする前に益州へ移住しましたが、知遇を受けることはありませんでした。
鄧芝は、人相見で知られていた益州従事の張裕に会いに行ったところ、
「あなたは70歳を過ぎたころに、大将軍になり、侯に封じられるだろう」
といわれました。
それから鄧芝は、巴西太守の龐羲(ほうぎ)が士を好むと聞いて、そのもとに身を寄せます。
劉備が蜀を平定すると、鄧芝は郫(ひ)県の邸閣督(食糧庫管理)となりました。
劉備が郫県に立ち寄ったとき、鄧芝と語り合ってその才能を評価し、郫県の県令に任じました。それから昇進して広漢太守となります。
鄧芝はそれぞれの任地で功績をあげ、それから中央に入って尚書となりました。
劉備が亡くなったのち、呉との和睦をどうするかということについて諸葛亮は悩んでいました。
劉備が生きていたときは、孫権は劉備を恐れて和睦を望んでいたのですが、亡くなったあとは態度を曖昧にしていました。
鄧芝は諸葛亮に、
「現在、主(劉禅)は即位されたばかりで、まだ幼いです。ここは呉に使者を送り、友好を結ぶべきでしょう」
といいました。
諸葛亮は、
「私もそのことを考えていたのだが、使者として良い人物が見つからなかったのだ。今日やっとその人物が見つかった」
といいます。
「それは誰ですか?」と鄧芝が聞くと、「そなたのことだ」と諸葛亮は答えました。
こうして鄧芝は、友好の使者として呉へと向かいます。
一方、呉では、孫権は鄧芝と会うことをためらっていました。
そこで鄧芝は、
「私がこうして参ったのは、呉のためにもなることを願ってです。蜀の利益だけを考えてのことではありません」
と上表して会見を申し入れます。
こうして孫権は鄧芝と会い、こういいました。
「じつのところ、私も蜀との和睦を希望していた。しかし蜀はいま、主は幼く、国土は貧しく、いずれ魏に攻め入られてしまうのではないかと心配している。それでためらっていたのだ」
すると鄧芝は、
「呉と蜀は合わせて4州を治め、大王(孫権)は当世の英雄にございます。また諸葛亮も傑人。両国とも天然の要害に守られていますゆえ、助け合えば天下を併呑することもできますし、少なくとも三国鼎立は維持できるでしょう。
しかしもし大王が魏に降伏したら、魏は大王の入朝を望み、太子を宮仕えさせることとなりましょう。
大王がその命令に逆らえば、逆臣として討伐に来ることは目に見えています。蜀もこの機会を利用して侵攻してくるでしょう。
こうなれば、この江東の地がふたたび大王のものになることはありません」
と答えました。
孫権はしばらくの沈黙ののち、「あなたのいうとおりだ」といいました。
こうして孫権は魏との関係を断ち、蜀と同盟することになります。
鄧芝と孫権のやり取りは、『三国演義』ではさらにドラマチックになっています。
孫権は鄧芝が来ると知り、武器を持った兵士たちや煮えたぎった油鼎を用意し、驚かそうとしました。
しかし鄧芝はそれらに恐れる様子もなく、
「呉には賢人が多いと聞きますが、たかが一人の書生を怖がって兵士たちを並べ、鼎を設けるとは、なんと度量の狭いことか」
といいます。孫権は恥じ入って兵士たちを下げました。
それから孫権は正史とおなじように、「蜀の主は幼く、魏に付け込まれる心配がある」ことを話します。
これに対する鄧芝の返答も正史とおなじですが、最後に、
「もし私の申すことが誤りだというのであれば、私はいますぐ命を絶ちましょう」
と、煮えたぎる油鼎に向かって走っていきました。
孫権は慌てて引き止め、賓客として手厚くもてなし、蜀との同盟を決意します。
また張温を返答の使者として、鄧芝とともに蜀へ向かわせました。
正史のほうでも、孫権は張温を返答の使者として送り、鄧芝がその返答としてまた呉をおとずれています。
それ以降も、孫権はたびたび鄧芝に安否をたずねる手紙を送り、贈物をあたえました。
延煕6年(243年)、鄧芝は車騎将軍に昇進します。
涪陵で反乱が起こると、鄧芝はその鎮圧に向かいました。
このとき、山沿いに黒猿がいるのを見つけます。弩が好きだった鄧芝は、黒猿を弩で射ました。
すると黒猿は矢を抜き取り、木の葉を巻いて傷口をふさぎました。
これを見た鄧芝は、
「私は生物の本性に背いてしまった。まもなく死ぬだろう」
と嘆きました。
一説では、射たのは母猿で、その子猿が矢を抜き取り、木の葉で傷口をふさぎました。
鄧芝はこれ見てため息をつき、弩を水中に投げ込んで自分の死期を悟ったといいます。
涪陵の反乱鎮圧後、延煕14年(251年)に鄧芝は亡くなりました。
鄧芝は二十余年将軍をつとめ、賞罰を明確にし、兵卒をよくいたわっていました。
また財産を増やそうとすることもなく、衣食は支給されたものだけでまかなっていました。
このことから妻子は飢えや寒さをまぬがれることができず、鄧芝が亡くなったときには家には少しの財産も残っていなかったといいます。
また剛直な性格だったことから、士人たちとうまくやっていくことができませんでした。
鄧芝自身も当代で尊敬できる者は少なかったのですが、ただ姜維の才能だけは高く評価していました。
子の鄧良は蜀が滅びたあとも生き残り、晋の時代には広漢太守となっています。
今回はそんな鄧芝の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
統率:73
武力:52
知力:79
政治:85
魅力:88
主義:割拠
政策:縦横術(Lv4)(外交交渉時に要求される金、兵糧の量が減少)
親愛武将:姜維、趙雲
文官寄りのバランス型といったところですね。統率も73あるので、戦闘に出しても問題ないでしょう。
ただシリーズ初期のほうと比べると、能力自体は微妙に落ちてはいますね。初期のころは魅力90台、知力80台のときもありました。
個性について
節約:自ユニットの兵糧消費が減少。
改修:所属都市に所在していると、耐久の回復量が増加。
論客:外交で優遇。
寡欲:自身の俸禄が減少。
あいかわらずこの「寡欲」というのは、武将にとってはなんのメリットもありませんね。
コーエーテクモゲームス的には「給料安い社員」=「良い社員」という考えを持っているのか、ちょっと心配です。
陣形と戦法
方円、鶴翼、投石
兵器もありますし、いろいろなシチュエーションに対応できるでしょう。
また「鶴翼」があるので、「節約」と組み合わせて土地塗りつぶしをするのもいいかと思います。
連弩:ダメージ+「足止」付与。対拠点可。
牽制:敵の攻城+破城ダウン。
鎮静:状態異常解消。
投石:耐久ダメージ+ダメージ。対拠点可。
兵器戦法もありますし、都市攻めのお供にも使えるでしょう。
総評
鄧芝は文官寄りのバランス型武将です。能力値は全体的に高く、統率・知力は70台、政治・魅力は80台あります。
個性には外交スキルの「論客」のほかに、兵糧節約の「節約」があるので、「鶴翼」と組み合わせて土地塗りつぶしに出陣させてもいいでしょう。
兵器も持っていますし、内政・戦闘の両方で活躍できる武将です。
次回は張温です。