『三國志14』武将能力:曹休の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その115】|三国志14

2020年6月4日三国志武将能力評価三国志, 三國志, 三國志14武将評価シリーズ

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『三國志14』三国志武将評価シリーズの第115回目は、曹操から我が子のようにあつかわれた曹休(そうきゅう)についてお届けします。前回の曹洪は以下のリンクから。

 

人物について

『真・三國無双8』で新登場した「誰やねん武将」ニャ。

曹休、字は文烈(ぶんれつ)。曹操の族子(おい)にあたります。

戦乱の世になると、曹休の一族は散りぢりになって故郷を離れていきました。

曹休ですが、10歳のときに父を失い、家の客人とともに埋葬をすませたあと、老いた母とともに長江を渡って呉郡へと行きました。

なんで呉郡なのニャ?

曹休の祖父が、かつて呉郡太守だったというのがあります。ツテがあったのでしょうね。

曹休は太守の官舎で、祖父の肖像画が壁にあるのを見ると、拝礼して涙しました。それを見た人びとは、幼い曹休の態度に感嘆したといいます。

やがて曹操が挙兵すると、曹休は名を変えて荊州までたどり着き、曹操に目通りします。

曹操は側近の者たちに、

「この者は、わが家の千里の駒だ」

といいました。

どういう意味ニャ?

呉という遠いところから駆けつけてきてくれたからでしょう。

曹操は曹休を、曹丕と寝食をともにさせ、わが子のようにあつかいました。またいつも軍に従わせ、虎豹騎を率いて宿衛させていました。

前から思うのだけど、曹丕は曹操からのあつかいはひどかったと思うニャ。性格がひねくれるのも無理ないと思うニャ。

漢中の戦いにおいては、劉備呉蘭を下弁に派遣したとき、曹操は曹洪の参軍として曹休を出陣させます。そのときに曹操から、

「おまえは立場としては参軍だが、じっさいは指揮官だ」

といわれました。これを聞いた曹洪は、曹休にすべてを任せました。

曹洪よりもいくさが上手いという評価なのニャ。

曹洪軍が呉蘭のいる下弁に向かって出陣すると、劉備は張飛を固山に派遣し、後方を遮断しようとしました。

兵站切りニャ。

曹洪軍は、

「このまま呉蘭に向かうか、それとも背後の張飛を討つか」

という選択をしなければならなくなり、なかなか決められないでいました。

ここで曹休がいいます。

「もし賊軍が本気で糧道を断とうとするのなら、密かに行動するはずです。

ところが敵は声を張り上げ、気勢を誇示しています。

ここは呉蘭を攻撃するべきです。さすれば、張飛はおのずと退却するでしょう」

張飛の部隊は、ただの陽動と見たのニャ。けど張飛の声がでかかった可能性も捨てきれないニャ。

一般的には陽動と考えたほうがいいでしょう。本当に糧道を切りたければ、気付かれないうちにやったほうが被害もなくてすみます。

「孫子の兵法書」の「虚を突く」ニャ。

曹洪は曹休に従い、そのまま前進して呉蘭を討ち破りました。すると曹休がいったとおり、張飛は退却をしたのです。

陽動だったのニャ。曹休のいったことは当たったのニャ。

こうして曹操は漢中を攻め落とし、長安に帰還したのちに、曹休を中領軍に任じました。

曹丕の代になって夏侯惇が亡くなると、曹休は鎮南将軍・仮節・都督諸軍事に任命されました。

曹休は任地に向かう曹休をみずから見送り、別れるときもわざわざ車から降りて曹休の手を握って送り出しました。

曹丕とは仲が良かったのニャ。恨まれると前回の曹洪みたいな目にあうニャ。

曹休はたびたび呉の侵略を防いでいました。このことから征東大将軍に任じられ、張遼らや州郡の、二十余の軍の指揮権をあたえられました。

あまり知られていない武将のわりには、けっこう権限が大きかったのニャ。

曹丕が亡くなり、曹叡があとを継ぐと、曹休は大司馬に昇進します。

太和2年(228年)、曹叡は曹休と司馬懿に命じ、二路に分かれて呉を討伐させました。

曹休は尋陽に、司馬懿は漢水に向かって南下します。

ここで呉の周魴が偽りの投降をし、曹休はそれを信じて敵地深くに侵入してしまいました。

ここで待ち構えていたのが、陸遜です。

り、陸遜ニャ―! 曹休は退却したのかニャ?

いえ、しませんでした。

曹休は罠であったことに途中で気づいていたのですが、いまさら自分の間違いを認めたくもなく、また10万という大軍だったので、そのまま進んでしまったのです。

変なところでプライドが出たのニャ。

一方で、別動隊の賈逵はこのことを知ると、すぐさま救援に駆け付けました。軍を急がせるだけ急がせたのです。

賈逵は賈充の父親ニャ。

しかし援軍は間に合わず、曹休の軍は敵の挟撃にあい、散々に討ち破られてしまっていました。

賈逵は旗と太鼓をたくさん設け、兵の数を多く見せて、敵を退却させます。また兵と兵糧を早急に分け与え、なんとか撤退させました。

この惨敗は、のちに「石亭の戦い」と呼ばれます。

賈逵は曹休の、命の恩人ニャ。

ところがこの二人は、もともと仲が悪かったため、曹休は、

「助けに来るのが遅い!」

と恨み、賈逵を叱責しました。さらには「逃げるときに捨ててきた武器類を拾ってこい」とまでいいます。

助けられておいて、めちゃくちゃニャ。

都に引き上げたのち、二人はたがいに今回の戦況を上奏しました。

朝廷では「賈逵のほうが正しい」とわかっていたのですが、曹休が皇族であったことから、どちらも責めずにすませました。

事なかれ主義な連中ばかりニャ。

曹休ですが、石亭の敗戦が原因で、背中に悪性の腫瘍ができ、やがて亡くなってしまったといいます。

戦場では命が助かったけど、けっきょく亡くなってしまったのニャ。指揮官としては優れていたと思うけど、最後の最後で大敗という汚点を残してしまったニャ。

今回はそんな曹休の能力を見ていきましょう。

 

基本ステータスについて

統率:77
武力:74
知力:62
政治:56
魅力:69
主義:覇道
政策:雁行強化(Lv4)(雁行陣形の効果が上昇)
親愛武将:
曹真、曹丕

統率・武力は思ったよりも高くないニャ。

呉の侵攻はけっこう防いでいたのですが、やはり石亭での敗戦が足をひっぱったのでしょうか。

ちなみにシリーズ通してだいたいおなじようなパラメータになっていますね。

 

個性について

遠矢:自ユニットの攻城が上昇(艦船、兵器以外)。

昂揚:特定範囲内の敵ユニットを撃破すると、自ユニットの士気が上昇。

癇癪:自ユニット、太守として所在する拠点が「挑発」にかかっている期間を延長。

高慢:一定兵数以下で自ユニットの全能力が低下。

高慢」持ちニャ。

石亭の戦いで退却しなかったことが出ていますね。「癇癪」も賈逵に対する態度からでしょう。

兵力低下には注意したほうがいいかと思います。

 

陣形と戦法

陣形

鋒矢、雁行、錐行

曹洪とおなじく野戦型ニャ。

遠矢」があるので、攻城での能力アップははかれますね。

戦法

斉射:ダメージ。対拠点可。

火矢:発火。対拠点可。

攪乱:敵の機動ダウン。

駆逐:ダメージ。

矢の戦法が多いニャ。あとなにげに水軍戦法を持ってるニャ。

野戦をこなしながら拠点攻撃にも参加させるのがいいかと思います。

 

総評

曹休は、戦闘ユニットとしては中ぐらいの強さです。

野戦陣形のみですが、「遠矢」や「斉射」「火矢」があるので、拠点攻撃に参加させるのもいいでしょう。

ただ「高慢」持ちなので、運用には注意したほうがいいかと思います。

敵に壊滅させられないように気を付けるニャ。

次回は曹真を予定しています。【追記】次回と政治のTOP10ランキング記事出来ました。