『三國志14』武将能力:曹丕の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その73】|三国志14

2020年6月4日三国志武将能力評価三国志, 三國志, 三國志14武将評価シリーズ

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『三國志14』三国志武将評価シリーズの第73回目は、曹操の子で魏の初代天子(皇帝)でもある曹丕(そうひ)についてお届けします。前回の劉表は以下のリンクから。

人物について

于禁の回でもそうだったけど、曹丕は性格が悪いイメージニャ。

曹丕、字は子桓(しかん)。曹操卞氏の子です。兄に曹昂(そうこう)・曹鑠(そうしゃく)がいます。

しかし曹昂は、張繍が曹操に反乱したとき、父を逃がすために典韋曹安民とともに戦死しました。

また曹鑠は病弱で、二十歳前後で亡くなったといいます。

そうなると曹丕が最年長ニャ。

ところが曹操は、曹丕と弟の曹植、どちらを跡継ぎにするかで悩んでいました。曹操は文才のある曹植を気に入っていたのです。

性格がひねくれたのはこれが原因かニャ。しかしこういうのは、内部分裂のもとになるニャ。

じっさいそれが原因で、魏の内部では曹丕派と曹植派に分かれて議論が戦わされることになります。

曹操はどうすべきか賈詡に相談しました。すると賈詡はただひとこと、「袁紹劉表のことを考えておりました」と答えました。

袁紹は子の袁譚袁尚のがあらそい、劉表も子の劉琦劉琮で跡継ぎ問題が発生。国の分裂を招いて滅びてしまったのです。

曹操は賈詡の返答に笑い、曹丕を後継者にすることを決めたのです。

これで魏も安泰ニャ。

曹操の死後、曹丕は父のあとを継いで魏王となりました。王なので、もちろん上には献帝という天子(皇帝)がいます。

曹丕は家臣たちを使って献帝に禅譲をうながし、帝位につくことに成功。漢王朝は滅亡し、献帝は曹丕から「山陽公」に封じられました。

「帝」から「公」に落とされたのニャ。献帝はその後どうなったのニャ?

曹操の娘の曹節とともに暮らし、54歳で亡くなったといいます。暗殺されたとの説もあり、このことから劉備は漢王朝を継いで天子を名乗りました。

孫権も天子を名乗り、魏・呉・蜀で中国に3人の天子が登場したことから、「三国志」の時代が幕開けることになります。

天子は天下で1人だけなのに、3人になったのニャ。

史書を編纂する歴史家からすれば面倒な事態ですね。

そのため正史「三国志」では魏を正統として「魏書」を一番最初にしています。漢王朝を受け継いだ蜀の「蜀書」は次点に、最後に「呉書」となっています。

また「三国志」は紀伝体で書かれています。天子の記録である「本紀」と、臣下たちの記録である「列伝」の形式ですね。

歴史の授業で学んだニャ。

「魏書」の曹操の記述は「武帝紀」、曹丕の記述は「文帝紀」と、「本紀」になっています。

また劉備は「先主伝」(劉禅は「後主伝」)、孫権は「呉主伝」と、「列伝」になっています。要は臣下あつかいですね。

魏を正統にしたのは、司馬炎の晋がそのあとに来るからかニャ?

そうですね。そうでなければ、晋の正統性がなくなりますしね。

曹丕は案外優秀な統治者でした。歴史に残る事業としては、陳羣が建議した「九品官人法」の導入があります。官僚を一品から九品の階級に分けるというものですね。

これも歴史で勉強したニャ。聖徳太子の「冠位十二階」のもとになったやつニャ。

近年は「聖徳太子はいなかった説」によって教科書の記述が聖徳太子から「厩戸王」になったりと、多少混乱した状態になってはいますね。筆者的には聖徳太子のほうが覚えやすいので、まず定説から勉強して、興味を持ってから細かい異説などを勉強したほうがいいとは思います。

三国志も最初に正史を読んでも面白くもなんともないニャ。関羽も青龍偃月刀を使わないニャ。

歴史は「正確さが必要な面」と、「物語を楽しむ面」がありますからね。三国志のばあい、多くの人びとが求めているのは後者でしょう。

話をもどしまして、曹丕の九品官人法は、隋の時代までずっと続けられていました。隋になってからは科挙制度(官吏登用試験)が本格化し、九品官人法は廃れてしまいます。

軍事面に対してですが、陸遜が劉備を退けた「夷陵の戦い」においては、その直後から呉への侵攻を積極的におこないました。

漁夫の利ニャ。

しかし大軍を投じるものの呉の守りは堅く、なかなか戦果をあげられません。

曹丕みずから十万の兵を率いて出陣したときには、徐盛の「偽城の計」にひっかかり、戦わずして退却したことは徐盛の回でも述べました。翌年も出兵していますが、そのときも敗れて退却しています。

いくさの才能は、父親には遠くおよばなかったのニャ。

やがて曹丕は病に倒れ、40歳で亡くなりました。在位期間はわずか6年ほどでした。あとを継いだのは長男の曹叡です。

曹丕は案外早く亡くなってしまったのニャ。

今回はそんな曹丕の能力を見ていきましょう。

 

基本ステータスについて

統率:70
武力:71+2(百辟刀
知力:83+2(典論)
政治:86
魅力:84
主義:覇道
政策:戸籍整備(Lv5)(募兵担当官による兵士の上昇量が増加)
名品:百辟刀(武力+2)
典論(知力+2)
以下、DLCシナリオ「夷陵の戦い」の名品。
爪黄飛電(退却確実)
倚天の剣(武力+5)
玉璽、
銅雀
父親:曹操
母親:卞氏
配偶者:郭女王
親愛武将:夏侯尚、呉質、司馬懿、朱鑠、徐奕、辛毘、陳羣、孟達
嫌悪武将:王忠、何晏、曹洪、曹植、丁儀、鮑勛、令狐愚

ステータスのバランスは悪くないけど、戦闘ユニットとしては凡将ニャ。

呉に負けまくっていますしね。ただ知力・政治・魅力は80台なので、内政面では力を発揮するでしょう。

それと1のころは武力92ありました。『三國志2』以降から現在とおなじようなステータスになっていますね。

猛将すぎるニャ。それにしても敵も味方も多いニャ。親愛武将に孟達がいるニャ。

曹丕があとを継いでから、孟達は蜀から魏に亡命しています。曹丕は孟達をやたらと厚遇し、家臣たちに咎められても聞き入れなかったほどだといいます。

なぜか気に入られていたのニャ。

 

個性について

使役:府の上にいると、自ユニットの全能力が上昇。

言毒:特定範囲内の敵ユニットが「挑発」になったさい、その期間を延長。

文化:地域担当官に任命すると人口が上昇しやすい。

悪名:自ユニットの占領拡大に必要な兵数が増加。

高慢:一定兵数以下で自ユニットの全能力が低下。

なんか戦闘にも内政にもどっちつかずニャ。しかもバッド個性が2つもあるニャ。

高慢」は戦闘では壊滅の頻度を増やす原因にもなりますね。「文化」があるので地域担当官にしておくといいでしょう。

 

陣形と戦法

陣形

雁行、鶴翼、錐行

これも使いづらい感じニャ。

「悪名」があるので土地塗りつぶしもちょっと不利ですね。「雁行」で味方のうしろから行くのがいいかもしれません。

戦法

斉射:ダメージ。対拠点可。

連弩:ダメージ+「足止」付与。対拠点可。

牽制:敵の攻城+破城ダウン。

挑発:「挑発」付与。

汎用戦法ばかりニャ。これも攻守どっちつかずの感じニャ。

逆にいえば守りにも攻めにも使えますので、そこそこ活躍できるでしょう。

 

総評

曹丕はバランスの取れた武将です。内政向きですが、戦闘もそこそこにこなせます。

人口が上昇する「文化」があるので、地域担当官に任命しておくといいでしょう。

DLCシナリオ「夷陵の戦い」では曹操ゆずりの名品をたくさん持っていますので、部下に分配するのもいいかと思います。

そこそこに潰しにきく武将ニャ。

次回は続けて曹丕の弟、曹植を予定しています。

↓次回出来ました。