『三國志14』武将能力:宗預の評価は?【三国志武将評価シリーズ・その208】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第208回目は、呉との関係維持に功績のあった蜀の外交官・宗預(そうよ)についてお届けします。前回の張翼は以下のリンクから。
人物について
宗預、字は徳艶(とくえん)。南陽郡・安衆県の人です。
建興の初年には諸葛亮によって主簿に任じられ、そののち参軍・右中郎将に昇進します。
諸葛亮が亡くなると、呉は「魏が蜀を奪うのではないか」と懸念し、巴丘の守備兵を1万人に増員しました。
すると蜀のほうも、永安(白帝城)の守備兵を増加させます。
これによって、呉は蜀の動きにも懸念を示すこととなりました。
このころ、宗預は外交官として呉に赴き、孫権と会談をしました。
孫権は宗預にたずねます。
「呉と蜀は家族のようなものだ。なのに白帝の守備兵を増やしたという。どういうことなのか」
すると宗預は、
「呉が巴丘の守備兵を増やせば、当然蜀も白帝の守備兵を増やします。どちらも情勢がそうさせているのですから、たずねるまでもないことでしょう」
と答えました。
孫権はこの返答に笑い、宗預の剛直さを気に入り、鄧芝・費禕に次ぐ敬意を示したといいます。
宗預は侍中に昇進し、そののち尚書へ転任します。さらに延煕10年(247年)には屯騎校尉となりました。
そのころ、鄧芝が江州より帰還していました。宗預に会うと、
「『礼記』では60歳になると、軍事に従事しないことになっています。しかしあなたはいまの年になって軍をあずかる身になりました。どういうことでしょうか」
と聞きました。
すると宗預は、
「あなたは70歳なのに、兵権を返すことをしていません。なぜ私が60歳で兵をあずかれないのでしょうか」
と言い返しました。
鄧芝は傲慢な性格で、費禕らを始めとして皆遠慮した態度を取っていたのですが、宗預だけはそうではありませんでした。
老齢になった宗預は、また呉への使者に任命され、孫権と会います。
孫権は宗預の手を握って涙を流し、
「あなたはいつも命令を受けて、二国の友好に尽くしてきた。いまは互いに高齢で、おそらくもう会うことはないだろう」
といい、大きな真珠を送りました。
それからは後将軍に昇進し、永安の軍の指揮官となります。さらに征西大将軍に任命され、関内侯に封じられました。
景耀元年(258年)に病気になり、成都に帰還します。
諸葛亮の息子の諸葛瞻(しょかつせん)が朝廷の諸事を取り仕切ることになると、廖化は宗預を誘ってご機嫌伺いに行こうとしました。
しかし宗預は、
「我々は70歳を超え、すでに地位も得ている。いまさら年少の者にあいさつすることもないだろう」
といって行きませんでした。
魏の侵攻によって蜀が滅びると、宗預は廖化とともに洛陽に護送されました。しかしその途中、病死してしまったといいます。
今回はそんな宗預の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
統率:56
武力:32
知力:65
政治:66
魅力:70
主義:王道
政策:兵站改革(Lv3)(部隊の兵糧消費量が減少)
親愛武将:廖化
晩年は軍を預かっていましたしね。
ちなみに『三國志4』で初登場したのち、ずっと出番がなく存在を忘れられていましたが、本作で再登場を果たしました。
個性について
調達:輸送部隊を率いたさい、輸送できる量が増加。
振興:地域担当官に任命すると開発が上昇しやすい。
論客:外交で優遇。
「調達」「振興」もあるので、内政にも寄与できるでしょう。
陣形と戦法
魚鱗
晩年は軍事に従事していましたし、文官とは一線を画しているのかもしれませんね。
火矢:発火。対拠点可。
挑発:「挑発」付与。対拠点可。
とくに根拠もありませんしね。無しでもよかったかもしれません。
総評
宗預は蜀の外交官で、文官タイプの武将です。ただ統率は50台なので、戦えないこともありません。
個性には外交スキルの「論客」や、内政用の「調達」「振興」もあるので、うまく利用していきましょう。
全体的な能力としては高くはありませんが、武将としては悪くもないといったところです。
次回は鄧芝です。