『信長の野望・新生』武将能力:佐竹義重の評価は?【武将評価シリーズ・その64】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第64回目は、奥州の「鬼義重」こと佐竹義重(さたけよししげ)です。
毛虫をイメージしたもので、「虫は下がらず前進あるのみ」ということらしいです。また「葉を食う」が「刃を食う」で、刃避けの意味もあります。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の伊達成実は以下のリンクから。
人物について
佐竹義重は天文16年(1547年)、佐竹義昭の子として生まれました。
15歳になると父・義昭が隠居し、義重が家督を継ぎます。
佐竹氏は上杉謙信と結んでおり、義重は永禄7年(1564年)に「小田城の戦い」で活躍したことから、謙信より名刀「備前三郎国宗」を授けられています。
やがて義重は、北条氏政率いる北条氏とぶつかり合うことになります。
北条氏政は蘆名盛氏・結城晴朝らと同盟を結んで佐竹氏に対抗。状況は困難なものの、義重は着実に勢力拡大をする一方で、豊臣秀吉にも取り入っていきました。
蘆名盛氏が亡くなると、蘆名氏の当主が次々と早世したことから勢力が衰えます。
義重は幼少の蘆名亀王丸(亀若丸)をかつぎ、伊達輝宗が次男・伊達政道(小太郎)を送り込むのを阻止しました。
こうして蘆名氏は取り込めたものの、伊達氏と対立することとなります。
「人取橋の戦い」においては、蘆名氏との連合軍で政宗を追い詰めたものの、逃がしてしまいます。
天正14年(1586年)に二本松氏が滅亡すると、伊達氏と和議が結ばれることとなりました。
その後も政宗との衝突は続き、天正16年(1588年)、奥州の諸大名と連合して政宗と戦います。しかし大名同士の連携が上手くいかず、けっきょくは大敗してしまいます。
秀吉の小田原征伐がはじまったころには義重は隠居しており、子の佐竹義宣が跡を継ぎました。
義重は子の義宣とともに、小田原征伐に参戦。石田三成の忍城攻略に従います。
奥州仕置にも従ったことから、小田原征伐に遅れた政宗とは逆に功績を認められ、常陸国54万石を拝領しました。
「関ヶ原の戦い」が起こると、義宣は三成率いる西軍へつくことになりましたが、義重は時世を見て徳川家康率いる東軍につくことを主張します。
けっきょくのところ、佐竹氏全体ではどっちつかずの状態であったことから、のちに家康から出羽国久保田に減封させられてしまいます。
慶長17年(1612年)、狩猟中に落馬して死去。享年66歳でした。
基本ステータスについて
統率:88
武勇:88
知略:83
政務:86
主義:中道
統率・武勇は88と高めになっていますが、政宗などと渡り合う大名としては力不足かもしれません。
ちなみに過去作だと、「革新」「天道」あたりは統率が90台だったので、弱体化した感じはありますね。
戦法・特性について
(戦法)
急襲:敵部隊の兵力減少。
(特性)
自衛:自勢力内で自部隊の防御上昇。
作事:城下施設の建設効率上昇。
射手:戦場で積極的に高所から射撃。
戦闘に関しては防御スキルの「自衛」持ちですね。
内政に関しても「作事」があるので、うまく活かしていきたいところです。
総評
佐竹義重は万能型の武将です。
ステータスはすべて80台で、統率・武勇は88になっています。
また「作事」も持っているので、内政でも活躍できるでしょう。
次回は蘆名盛氏です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。