『信長の野望・新生』武将能力:福島正則の評価は?【武将評価シリーズ・その24】

2022年11月23日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

fukushima masanori

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第24回目は、加藤清正とともに豊臣秀吉の子飼いの武将として知られる福島正則(ふくしままさのり)です。

「無双」シリーズだとヤンキー扱いされてる人ニャ。

映画『関ケ原』でもリーゼントっぽく見える髪形をしていましたね。そういうキャラで定着している感じがあります。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の加藤清正は以下のリンクから。

 

人物について

福島正則は永禄4年(1561年)、桶屋の福島正信の子として生まれました。幼名は市松

母は秀吉の母の妹とされており、そのコネで正則は父ともども秀吉の家臣となりました。

コネ就職なのニャ。

正則は、加藤清正とともに小姓をつとめていたことから、親友となります。

織田信長が本能寺で亡くなったのち、「山崎の戦い」「賤ヶ岳の戦い」「小牧・長久手の戦い「九州征伐」「小田原征伐」などの大きないくさで活躍をします。「賤ヶ岳の七本槍」の一人としても知られていますね。

朝鮮出兵では、文禄の役では五番隊の主将となりましたが、途中で日本に帰国しています。続く慶長の役には参戦していません。

清正と石田三成の確執が深まると、清正に味方して三成を襲撃したりもしています。

関ヶ原の戦い」においては徳川家康側につき、宇喜多秀家の大軍相手に奮戦し、戦いを勝利に導きます。この活躍により、広島城を得て49万8,000石の大名となります。

慶長16年(1611年)、二条城における家康と豊臣秀頼との和解を、清正とともに仲介します。ただ正則は病気と称して会見には参加しませんでした。

会見ののち、清正ら元豊臣の家臣たちが相次いで死去。身の危険を感じたのか、正則は慶長17年(1612年)に病を理由に隠居を申し出ます。

家康の陰謀っぽいニャ。

「大坂の陣」においては、豊臣側から加勢を頼まれましたが、これを拒否。

家康の死後、台風による被害にあった広島城を無断修繕したことで、武家諸法度違反に問われます。

じっさいのところ、2ヶ月前から届けを出していたのですが、その返事がなかったのですね。それで雨漏りが厳しいので、やむをえず直したといったことですね。

この件での徳川家との確執は長引き、最終的には改易処分されてしまいます。

理由をつけて、最初から潰す気でいたのニャ。

正則は次男の福島忠勝に家督を譲って隠居したものの、忠勝が亡くなってしまったので、2万5,000石を幕府に返上します。

正則は高井野で新田開発や治水にたずさわりながら、やがて亡くなりました。享年64歳でした。

もと豊臣家臣ということで、幕府にずっとマークされてたのニャ。

徳川家にとっては、面倒な立場の人物でしたしね。

 

基本ステータスについて

統率:78
武勇:91
知略:68
政務:53
主義:革新

武勇90越えニャ。

加藤清正が89なので、本作では正則のほうが上ですね。

過去作では清正のほうが上だったり、正則のほうが上だったりと、作品によって評価が違います。「創造」だと清正が91、正則が90と、清正のほうが上でした。

『三國志』シリーズでいうところの、夏侯惇夏侯淵の武力評価がシリーズによって違うみたいな関係ニャ。

「どっちが強い」みたいな論議ですね。

ただ総合能力的には清正の方が上で、正則の統率・知略は抑えられた形になっています。

 

戦法・特性について

(戦法)
用心:自部隊の防御上昇。

(特性)
城乗:敵城への耐久ダメージ増加。

攻勢:自部隊の攻撃上昇。

血気:合戦で積極的に部隊攻撃をおこなう。

「血気」盛んなキャラみたいな位置付けニャ。

知略が68ですが、その代わりといった形で「城乗」が入っています。

戦法のほうは、攻めではなく「用心」と守りですね。清正が「急襲」なので、対比的になっています。

「攻勢」は清正も持っていますね。

 

総評

本作では清正よりも武勇(91)が高く、「血気」も持っており、積極的に戦う武将という位置づけになっています。

知略・統率は低めですが、「城乗」「攻勢」もあるので、戦闘を助けてくれるでしょう。

武闘派キャラという感じなのニャ。

次回は直江兼続です。【追記】次回出来ました。下のリンクから。