『信長の野望・新生』武将能力:荒木村重の評価は?【武将評価シリーズ・その117】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第117回目は、織田信長に反旗を翻し、黒田官兵衛を幽閉した荒木村重(あらきむらしげ)です。
晩年は「利休七哲」の一人となり、茶人として活躍しましたね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の宇佐美定満は以下のリンクから。
人物について
荒木村重は天文4年(1535年)、荒木義村の子として生まれたといわれます。幼名は十二郎。幼少から腕力の強かったといわれます。
当初は池田勝正に仕えていましたが、三好三人衆とともに謀反を起こし、主君を追放します。
元亀2年(1571年)、「白井河原の戦い」で活躍すると信長から気に入られ、その家臣となります。以降、信長に従ってさまざまな戦場で功績を挙げました。
しかし天正6年(1578年)、「三木合戦」で秀吉の援軍を命じられた村重は、有岡城で突如反旗を翻します。理由についてはさまざまな説がありますが、明確にはわかっていません。
信長としても、重用していた村重が急に裏切ってきたので驚いたものと思われます。「母親を人質として差し出して弁明すれば赦す」と、信長にしては寛大な対応を取ります。
村重は信長の赦しを得るため安土城へ向かいましたが、途中で高山右近と会い、「信長は裏切りを許さない」として止められます。こうして有岡城に戻ってしまいました。
その後も信長は何度も使者を送り、説得を試みます。秀吉は黒田官兵衛を使者として送りましたが、村重は牢に閉じ込めてしまいました。
以降、村重は一年にわたって籠城し、信長の兵を退けます。
やがて兵糧が尽き、村重は妻子らを見捨てて城を脱出。城に残された一族は、信長によって処刑されてしまいました。
毛利氏のもとへ亡命した村重は、尾道で隠遁生活を送ります。
信長が「本能寺の変」で亡くなると堺へ移り、反乱前からつながりのあった堺の茶人とともに茶の道を進みます。
秀吉は村重の事情を知っていたことから、天下を治めてからも処罰することはありませんでした。
天正14年(1586年)5月4日、堺で死去。享年52歳だったといいます。
基本ステータスについて
統率:77
武勇:73
知略:84
政務:60
主義:革新
統率・武勇も70台あるので、中堅武将として活躍できるでしょう。
過去作だと知略が30~40台だったこともあり、評価が安定していませんね。
戦法・特性について
(戦法)
攪乱:敵部隊の体力低下。
(特性)
鉄壁:所有城の耐久ダメージ減少。
血気:合戦で積極的に部隊攻撃を行う。
数奇:家宝をまれに入手。
守備力の高さから「鉄壁」は入っていますね。茶人なので「数奇」も持っています。
総評
荒木村重は中堅の武将です。
知略は84、統率・武勇は70台と、戦場でそこそこ活躍できるでしょう。「鉄壁」もあるので守備にも使えますね。
遊撃隊みたいな感じで活躍させるといいとは思います。
次回は長尾為景です。 【追記】次回出来ました。以下のリンクから。