『信長の野望・新生』武将能力:真田昌幸の評価は?【武将評価シリーズ・その44】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第44回目は、表裏比興の軍略家・真田昌幸(さなだまさゆき)です。
知略の高い武将で、本作でも99の高知略を誇っています。息子たちも優秀ですね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の高橋紹運は以下のリンクから。
人物について
真田昌幸は天文16年(1547年)、真田幸隆の三男として生まれました。幼名は源五郎。
7歳のころ、人質として武田家へ送り出され、武田信玄の奥近習衆に加わります。
初陣は15歳のころ、信玄が上杉謙信と戦った「第4次川中島の戦い」です。この戦いにおいて信玄は、山本勘助や武田信繁といった優秀な武将を失います。
元亀4年(1573年)に信玄が亡くなると、家督を継いだ武田勝頼に使えます。
天正2年(1574年)に父・幸隆が死去すると、昌幸の兄であり嫡男の真田信綱が家督を継ぎます。
しかし信綱と、その弟の真田昌輝が「長篠の戦い」で戦死すると、昌幸が真田家の家督を継ぐこととなりました。
天正10年(1582年)、織田信長・徳川家康の連合軍が武田領へ攻め込んできます。武田勝頼は裏切りにあって自害。
昌幸は織田家に従属し、滝川一益のもとで働くこととなりました。
ところが同じ年に、信長が明智光秀の裏切りにあい、本能寺で亡くなります。
これを機に北条氏が旧武田領へ領土拡大をおこなったことから、そこを守る信長の家臣たちが逃亡。
旧武田領をめぐって、上杉・北条・徳川のみつどもえの戦いがはじまります。
昌幸はこの混乱の中、まず上杉景勝に臣従します。
しかし翌月には北条氏直に臣従。さらに、沼田城へ入ると氏直を裏切って、家康につきます。
天正13年(1585年)には家康から「沼田領を北条氏に引き渡すよう」いわれ、代わりの領土が無いのでこれを拒否。
このことから家康との戦いである「第1次上田城合戦」がはじまります。
昌幸は再度上杉氏と手を組み、幸村を人質として送りました。
そして攻めてくる徳川軍を上田城の中へ招き入れ、周囲からの伏兵でこれを撃退。さらに退却する敵にも水攻めで追い討ちをかけ、4倍ほどの兵力の敵に勝利しました。
やがて徳川軍本体が迫ってきます。
昌幸は豊臣秀吉に従属することで、家康との講和に成功します。
秀吉が亡くなり、石田三成と家康が戦った「関ヶ原の戦い」では、昌幸は信之を東軍に、幸村を西軍につけ、どちらが勝っても真田家が途絶えないようにしました。
「関ヶ原の戦い」後は、東軍だった昌幸と幸村は九度山へ流されます。死罪にならなかったのは、信之や本多忠勝の助命があったからです。
慶長16年(1611年)、九度山で病死。享年65歳でした。
一方、信之は上田藩主となり、93歳まで生きたといわれます。
基本ステータスについて
統率:94
武勇:80
知略:99
政務:85
主義:中道
本作の知略99は3人います。昌幸以外は竹中半兵衛と北条早雲ですね。
過去作だと知略80台もありましたが、シリーズが進むにつれてどんどん知略が上がっている感じですね。
戦法・特性について
(戦法)
表裏比興:敵部隊に混乱付与・防御低下。
(特性)
老獪:外交関係破棄での外交姿勢悪化・忠誠減少を無効化。
用兵:敵部隊を挟撃中、自部隊の攻撃上昇。
修繕:所属城の耐久自然回復量上昇。
「老獪」は外交姿勢悪化を無効化するので、地味に強いスキルですね。小勢力である真田家でプレイする場合は外交を上手く使って立ち回っていくといいでしょう。
総評
真田昌幸は知略99という高知略を誇る武将です。
また統率・武勇も高く、前線での戦闘でも力を発揮できるでしょう。
そして地味に強い「老獪」のスキルがありますので、ノーペナルティで外交していくことができます。
二人の息子も優秀なので、これらをうまくつかって戦国時代を立ち回っていきましょう。
次回は真田信之です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。