『三國志14』武将能力:審配の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その103】|三国志14

2020年6月4日三国志武将能力評価三国志, 三國志, 三國志14武将評価シリーズ

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『三國志14』三国志武将評価シリーズの第103回目は、最後まで敵に屈しなかった袁紹陣営の烈士・審配(しんぱい)についてお届けします。前回の郭図は以下のリンクから。

 

人物について

審配、字は正南(せいなん)。魏郡・陰安県の人です。

若いころから苛烈な心を持ち、節操正しい人物でした。

田豊とともに韓馥に仕え、韓馥が冀州を袁紹に譲ったのちは、袁紹に仕えました。

袁紹陣営の田豊、審配、沮授は、もと韓馥の部下ニャ。

袁紹は旧臣の逢紀が聡明だったので重用していたのですが、審配が配下になったのちは、審配を重用するようになりました。審配に策略を任せ、治中別賀に任じたのです。

逢紀は審配を恨んだのニャ。

ところが、です。

袁紹が「官渡の戦い」に敗れたのち、審配の子らが曹操に捕らえられたことで、審配は警戒されてしまいました。

そこで袁紹は、「審配を辞めさせるべきかどうか」を逢紀に相談しました。すると逢紀は、

「審配は古武将のような、激烈にしてまっすぐな心を持っています。疑うべきではありません」

とかばったのです。

袁紹が「おまえはやつを恨んでいたのではないか?」と聞くと、逢紀は、

「以前、審配と争ったのは、個人的な感情の問題からです。いま話しているのは国家の問題です」

と答えました。これによって審配は辞めさせられませんでした。以降、審配は逢紀と親しくなりました。

公私混同はしないのニャ。でも逢紀は、袁紹が曹操に負けたときに、「先生ー、田豊くんがおてて叩いて笑ってましたー」って讒言したニャ。これで田豊は殺されたニャ。

そういう言い方ではないとは思いますが、田豊と逢紀は、審配とは比にならないぐらい仲が悪かったのでしょう。

けっきょく個人的な感情ニャ。

袁紹の死後、郭図・辛評は長男の袁譚を跡継ぎに推し、審配は逢紀ととも三男の袁尚を推しました。

以降、袁譚と袁尚の対立が激化。袁譚が郭図の後押しで攻め込んできたものの、袁尚はこれを撃退。

負けいくさは、だいたい郭図のせいニャ。

袁尚は鄴の守りを審配と蘇由にまかせ、袁譚を追撃しました。

一方の袁譚は、郭図の策で曹操と同盟を結び、曹操に鄴を襲わせます。

このとき曹操は蘇由を寝返らせており、内応する予定でした。ところが計画が露見し、蘇由は審配に討ち破られて曹操のもとへ逃げ込みます。

曹操はそのまま前進し、鄴の城を襲いました。地下道を掘って侵入しようとしたのですが、審配はすぐに塹壕を掘ってこれに対抗しました。

さらに審配配下の馮礼が曹操に内応し、敵兵三百人を城内へ入れましたが、審配はこれを察知。城壁の上から大きな石を落として通路をふさぎ、曹操の兵士を全滅させました。

曹操がなかなか城を落とせないでいるのニャ。

そこで曹操は城を包囲し、周囲四十里にわたって堀を作りました。ただし堀はわざと浅く掘り、簡単に乗りこえられるように見せかけたのです。

城壁の上からこれを見ていた審配は、意味のない堀だと思って笑い、あえて妨害をしませんでした。

ところが曹操はその夜のうちに、堀を一気に深くまで掘ります。そして近くの漳水を決壊させ、堀に水を流しこみました。これによって城内が水没してしまいます。

呂布と戦ったときも似たようなことをしてたニャ。

曹操の包囲は5月から8月に渡って続いたため、城内は食糧不足になり、半数が餓死してしまいました。

袁尚はこの危機を知ると、一万の兵を率いて救援にもどってきました。のろしを使ってたがいに連絡を取り合い、内と外から曹操を挟み撃ちしようとしたのです。

しかし曹操軍は強く、審配は敗れて城内へと逃げ帰ります。

また袁尚のほうも打ち負かされて退却。その後曹操の追撃にあって軍は壊滅し、袁尚は中山郡へ逃亡してしまいました。

曹操、野戦では強すぎるニャ。

袁尚の印綬などを手に入れた曹操は、それを鄴の城にいる者たちに示すと、将兵の士気は一気に低下。

東門を守備していた審配の兄の子・審栄が裏切り、城門を開いて曹操軍を入れてしまいます。

身内に裏切られたニャ。

審配は城内で曹操軍を迎え撃ち、最後の抵抗をこころみます。その気迫と声は壮烈で、敵に屈することなく、最後まで戦いました。

これを見た者たちで、感嘆しなかった者はいなかったといいます。

そうとうすごい戦いだったのニャ。

けっきょく、審配は生け捕りされました。

曹操陣営にいた辛毗辛毘は、鄴にいる兄・辛評の家族を救い出そうとしました。

辛毗は辛憲英の父ニャ。『真・三國無双8』のおかげで、もはや娘のほうが有名ニャ。

ところが辛評の家族は、辛評が袁譚側についていたことから「袁家衰退の元凶」として、審配に皆殺しにされていたのです。

それを知った辛毗は怒り、曹操のもとへと引き出される審配に対し、鞭で頭を打ちながら「今日こそきさまの命はないぞ!」とののしりました。

一方の審配も、

「きさまら一族のために、我が冀州は負けたのだ! ここできさまを殺せないのが残念だ!」

とののしり返します。

めげない人ニャ。

審配が曹操の前に引き出されると、曹操が聞きました。

「城門を開けたのが誰か知っておるのか?」

「知らぬ」と審配は答えました。

「おまえの兄の子の審栄だ」と曹操がいいました。

審配は怒り、「あの役立たずが!」とののしります。

この人、さっきからずっとめげずに怒ってるニャ。本当に苛烈な性格ニャ。

曹操は審配を配下に加えたいと思っていました。

しかし審配は弱音を吐かず、いっさいなびく様子がありません。

しかもそのそばでは、審配に兄の家族を殺された辛毗が号泣しつづけています。

曹操は仕方なしに、審配を処刑することにしました。

様子が目に浮かぶようニャ。曹操も困り果ててるニャ。

さらには、張子謙という者が先だって降伏していたのですが、審配と仲が悪かったことから、審配を見て嘲笑し、

「おまえとわたしの違いはなんだと思う?」

と聞きました。すると審配は、

「おまえは降人、わたしは忠臣だ! 死んだとしても、おまえとは違うのだ!」

とののしりました。

まだののしるニャ。

それから処刑をする兵士に、

「わたしを北を向かせろ! わが主は北にいるのだ!」

とどなりつけたといいます。

最期の最期までどなってばかりなのニャ。処刑する兵士もびびってたと思うニャ。まさに烈士ニャ。

今回はそんな審配の能力を見ていきましょう。

 

基本ステータスについて

統率:82
武力:60
知力:83
政治:73
魅力:70
主義:我道
政策:墨守研究(Lv4)(都市があたえる反撃ダメージが増加
親愛武将:袁尚、審栄、逢紀
嫌悪武将:郭図、許攸、辛評、田豊

けっこう優秀なステータスニャ。

統率・知力ともに80以上ありますし、ほかも悪くはありませんね。バランス型の武将といえます。

ちなみに1のころは武力66・知力32と、かなり低く評価されていました。

郭図よりも審配の武力を90にしておくべきだったのニャ。

 

個性について

不屈:兵站切れしたさい、自ユニットの士気が低下しにくい。

封殺:特定範囲内の敵ユニットが「足止」になったさい、その期間を延長。

堅牢:所属都市に所在していると、都市が攻められたさい、反撃ダメージが上昇。

強欲:自身の俸禄が増加。

堅牢」はやっぱりあるのニャ。

都市の反撃ダメージがアップする個性ですね。城の守りが上手い武将はだいたいこれを持っていますね。

原作どおり、都市の守備をまかせるのがいいとは思います。

 

陣形と戦法

陣形

魚鱗、方円、投石

防御力高めの陣形と「投石」ニャ。

統率が高いですし、野戦でもそこそこ戦えますね。状況に応じて使い分けるといいでしょう。

戦法

鉄壁:味方の防御アップ。

鯨波:味方の破城+敵の攻軍ダウン。対拠点可。

罵声:敵の士気+攻軍ダウン。対拠点可。

投石:耐久ダメージ+ダメージ。対拠点可。

「鉄壁」があるのは予想がついたニャ。

ただ全体的に決定力には欠けますね。都市攻めは「投石」運用でもいいかと思います。袁紹陣営は「衝車」が多めですしね。

 

総評

審配はバランスのよいステータスを持った武将です。

統率・知力は80以上あり、政治・魅力も70以上あるので、なんでもそこそここなせます。

都市の反撃ダメージをアップさせる「堅牢」もあるので、前線の都市に配置しておくのもいいでしょう。

定評のある守りを見せるニャ。

次回は続けて袁紹陣営の逢紀を予定しています。

↓次回と「孫子の兵法書」第4回出来ました。