『三國志14』武将能力:馬謖の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その36】|三国志14

2020年6月4日三国志武将能力評価三国志, 三國志, 三國志14武将評価シリーズ

bashoku

『三國志14』三国志武将評価シリーズの第36回目は、諸葛亮の片腕として活躍した参謀・馬謖(ばしょく)についてお届けします。前回の荀攸は以下のリンクから。

人物について

「泣いて馬謖をKILL」ニャ。

一回の失敗で無能扱いされている感がありますが、南中平定では功のあった人物です。孟獲を心服させたのは馬謖の案ですしね。

そもそも失敗でいったら、諸葛亮も劉備も曹操もかなりやらかしていますからね。

馬謖、字は幼常(ようじょう)。馬良の弟で、荊州の襄陽で有名な「馬氏の5人兄弟」の末弟です。彼ら兄弟は字に「常」という文字があるので、「馬氏の五常」と呼ばれていました。

劉備が「赤壁の戦い」のあとのどさくさにまぎれ、曹操孫権を出し抜いて荊州を支配するようになると、馬良と馬謖は劉備に召し抱えられることになります。

馬謖は劉備の蜀入りのときにも付き従い、綿竹・成都の令や、越巂郡の太守に登用されました。

思ったより優秀ニャ。

人並外れた才能を持っていて、優秀なのは間違いないのです。

軍略を好んで論じることから、諸葛亮の相談相手にもなっていました。ともに作戦を練ることも多く、諸葛亮のお気に入りでした。

ただちょっとばかり虚栄心や自己顕示欲が強かったようです。ようするに実力以上に自分を大きく見せたがる人ですね。

いま生きてたらSNSに写真アップしたりしてそうニャ。「蜀入りなう」ニャ。

軍事情報ダダ漏れですね。

劉備は臨終の間際に、諸葛亮にこういいました。

「馬謖は言葉が実力よりも先行してしまうゆえ、重要な仕事を任せてはならない」

しかし諸葛亮はその後も馬謖を参軍として、いつも作戦の相談役にしていました。

諸葛亮が南中の孟獲を征討したときも、馬謖に案を求めます。

馬謖はこう答えました。

「南中は要害が多く、遠隔地であったことから、長い間服従しませんでした。今日これを討ち破っても、明日にはまた反乱を起こすでしょう。

これから北伐をして、国内に軍がないことを知られれば、彼らはまた反乱を起こします。

だからといって残党をことごとく滅ぼして後の憂いを取りのぞくのは、仁者のおこないから外れるうえに、問題を複雑にします。

そもそも用兵とは、心を攻めることを上策とし、城を攻めることを下策とします。また心を従わせることを上策とし、武器によって従わせることを下策とします。

どうか彼らを心から従うようにしてください」

すごくまともなことをいってるニャ。

諸葛亮は馬謖の言葉を聞き入れ、孟獲を許すことで南中を屈服させました。七度捕らえて七度放すの「七縦七擒」ですね。

しかしこの件で諸葛亮は馬謖の才能を信用しすぎてしまったのか、北伐において大きなミスを犯してしまいます。

岐山へ向かったとき、誰を先鋒にするべきかを話し合ったところ、すべての将が魏延呉懿などの経験豊富な将軍を用いるべきだと意見しました。

このとき、敵となるのも戦闘経験豊富な魏の張郃ですからね。

張郃は「黄巾の乱」のころからずっと戦い続けている歴戦の将ニャ。経験値がめちゃくちゃ高いニャ。

しかし諸葛亮は諸将の反対を押し切り、馬謖を先鋒にします。

ここで馬謖は自分の才を見せつけようとしたのか、いわれたところに布陣せず、副将の王平が止めるのも聞かずに水源のない山の上に布陣してしまいます。

しかも馬謖は複雑な策でも練っているのか、その指示も複雑なものでした。

現場に出向してトンチンカンな指示をはじめる役員みたいニャ。山を包囲されたら終わりじゃないかニャ。

まさにそのとおりで、張郃に水源を抑えられて大敗しました。

散りぢりになって敗走するところ、王平が指揮する一千の部隊が張郃軍を食い止めます。王平は太鼓を打ち鳴らし、伏兵があるように見せかけました。これによって敵の追撃の手が緩んだのです。

王平は生き残った兵を束ねて帰還。こうして全滅を免れました。

このあたりは、やっぱり現場で戦っている人の経験が物をいうニャ。

馬謖は敗戦の責任を取らされるのを恐れ、仲の良かった向朗のもとへ逃げました。向朗がこれを黙認したことで諸葛亮の恨みを買い、免職させられました。

また馬謖も捕らえられ、投獄されて亡くなりました。

処刑されたのじゃないのニャ?

「蜀書」の王平伝では処刑されていますが、馬良伝内の馬謖の記述では獄中で亡くなっているとも解釈できますね。

なんにせよ、諸葛亮は馬謖を裁き、その死に涙したといいます。このことから「泣いて馬謖を斬る」の故事が生まれました。どんな人物であっても、罪を犯せば法に照らさなければならないという意味で使われていますね。

なんかいい話っぽいけど、おおもとをたどると諸葛亮のミスじゃないのかニャ。

諸将の反対を押し切って馬謖を先鋒にしたのですから、たしかにそのとおりなのですけどね。

馬謖は全体の「戦略」を考えるのには適していたかもしれませんが、じっさいに軍を動かすような「戦術」が得意な軍師ではなかったのでしょう。経験不足というのもあるでしょうしね。魏延を使っていたら、また戦況は変わっていたかと思います。

今回はそんな馬謖の能力を見ていきましょう。

 

基本ステータスについて

統率:64
武力:67
知力:87
政治:68
魅力:67
主義:明利
政策:火計研究(Lv4)(火計の効果が上昇、Lvで火罠解放(5:火船、10:猛火罠))
親愛武将:伊籍、向朗、諸葛亮
嫌悪武将:王平

なんか微妙な感じニャ。

戦えないことはないですけど、「その他大勢」的なユニットになりますね。

知力は87と高めですが、政治は68と低めです。馬謖は太守などを務めていましたし、内政はできるほうだとは思いますけどね。

ちなみに1のころは知力61で、かなり低く評価されていました。

さすがに低すぎニャ。

前述したように、軍師には大局を見るタイプと、戦術レベルの用兵が上手いタイプに分けられると思うのですが、ゲームのばあいはそのあたりが一緒くたにならざるを得ないのですね。

知力パラメータを「知略」「戦術」の2種類に分ければこのあたりは上手く表現できる気はしますが、さすがにそこまではやらなそうですね。『三國志2』まで知力だけだったのが、『三國志3』で「知力」「政治」に分かれただけでも大作業だったとは思います。

それと嫌悪武将に王平がいるニャ。負けた後始末をしてあげたのに、恩知らずニャ。

それはいくさのあとの話ですしね。馬が合わなかったということでいいんじゃないでしょうか。

本作での馬謖は、戦闘も内政も中途半端な感じの武将になっています。

 

個性について

石兵:特石兵八陣が建設可能。

策士:計略で優遇。

智嚢:提案に登場しやすい。

猪突:命令設定で、敵接近時「無視」、自主退却「許可」が選択不可。

高慢:一定兵数以下で自ユニットの全能力が低下。

そこそこ知力がありますし、「策士」「智嚢」で、計略や内政で活躍してもらうのがよさそうですね。

戦闘に出すと「高慢」持ちなので、殴り合いになったときはきびしいものがあります。ただでさえパラメータが低めですしね。

 

陣形と戦法

陣形

鶴翼、長蛇、投石

「投石」で守ってもらいながら都市攻めに参加するぐらいでいいとは思います。また「鶴翼」で土地塗りつぶしをするのもいいでしょう。

戦法

業火:発火。対拠点可。

挑発:「挑発」付与。対拠点可。

罵声:敵の士気+攻軍ダウン。対拠点可。

少ないニャ。

知力の高さを活かして、火計や「業火」でなんとかする感じですね。戦闘に出す必要があるかも疑問ですが。

 

総評

馬謖は、知力以外は凡将といった感じのパラメータです。

戦闘ユニットとしては厳しく、「高慢」によって兵数低下時に全能力もダウンしてしまいます。

「策士」「智嚢」があるので、提案や計略で役に立ってもらうのがいいでしょう。

戦闘ユニットに使うばあいは、「投石」で都市攻めに参加するのがいいかと思います。

いまひとつな感じニャ。

次回は続けて馬謖の兄・馬良を予定しています。

白眉の人ニャ。

↓次回できました。